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2010年 01月 01日 (金)

ピリピ人ヘノ手紙2:1-11
あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。

Ⅰ.へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい(1-4)
 ピリピの聖徒たちは個人信仰は良いのですが、互いに心を一致させることができない問題がありました。彼らが聖霊の器を造るためには、まず競争心と虚栄心を捨てなければなりませんでした。またへりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思い、自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなければなりませんでした。
 人を自分よりもすぐれた者と思うためには、自分を低くする謙遜な心がなければならず、また学ぼうとする心がなければなりません。このような人は心に平安があり、どんな人でも抱くことができるのです。
Ⅱ.あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい(5-11)
 しかし自分を低くすることがどれだけ難しいのですか。私たちがどのようにして謙遜な人になることができるのでしょうか。5節をご覧ください。「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。」イエス様は根本的には神様と同一の方でした。しかしすべての栄光と権威を捨てて、しもべになるまで低くなられました(マコ10:45)。十字架で死ぬまで神様に服従しました。しかし神様はイエス様を高くされ、すべての名にまさる名をお与えになりました。また天と地と地の下にあるもののすべてがひざをかがめるようにされました。
 自分を低くすれば、神様がその人を高め、また尊く用いられます。神様が高くしてくださるので、人々と競争する必要がありません。

祈り:主よ!昨年は傲慢で、平安がなく、何の役にも立ちませんでした。今年は私がイエス様を学べるように祈ります。

一言:キリストの心を学ぶ年



2010年 01月 02日 (土)

ピリピ人ヘノ手紙3:1-11
キリストを得

Ⅰ.すべてのものをちりあくたと思うパウロ(8)
 当時ピリピ教会には律法を強調する割礼党がありました。彼らは人間的にすぐれたものになることが、救いを得るのに助けになると信じ、またそれを誇る人々でした。しかし人間的な背景と律法的な熱心を語るならば、使徒パウロも彼らには劣りませんでした。しかしパウロはそのようないっさいのことを損と思っていました。その理由は、キリストを知っていることがすばらしいことであるのを、知っているからです(8)。
 それだけではなく、パウロはすべてのものを捨てて、ちりあくたと思っていました。それらのものは、キリストを得、本当の自我を発見するのに、むしろ邪魔になることを、知っていたからです。
Ⅱ.十字架と復活を得ようとするパウロ(10,11)
 パウロは、またキリストとその復活の力とその苦しみにあずかることを願いました(10)。復活の力を体験しようと、日々殉教する覚悟で福音の御業に仕えました。彼は理論的にキリストを知ることよりも、実際の生活を通してイエス様を体験することを願いました。彼はすでに得たとか、完成したと自慢しませんでした。彼はただキリストを得ようと、ついて行きました。
 私たちの信仰の目標は何でなければならないのでしょうか。キリストを得、またそれを体験することです。今年は私たちにとって何よりもキリストを得る貴重な一年になることができるように、祈ります。

祈り:主よ!私にキリストを得ようとする霊的な望みをください。一年間イエス様の十字架と復活を熱心に学びます。

一言:キリストを得る一年


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