聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2014]

2014年 02月 11日 (火)

ヘブル12:1-13
どのようにして苦難に打ち勝つのか

1.イエス様から目を離さないでいなさい(1-3)
 私たちの信仰生活は競争のようです。信仰の競争で勝利するためには、すべての重荷とまとわりつく罪を捨てなければなりません。「疲れた」と不平をもらすより、耐え忍ばなければなりません。それは、私たちの信仰の先輩たちが雲のように取り巻いて、私たちを応援してくれているからです。
 また、私たちはイエス様から目を離さないでいなければなりません。イエス様は信仰の創始者であり、完成者です。主は、前にあるよみがえりの栄光のために、十字架を耐え忍び、恥ずかしめをお受けになりました。ご自分を嘲笑する罪人たちに耐えました。そして、イエス様は今、神様の右に着座しておられます。このイエス様を仰ぎ見、考えなければなりません。このイエス様を目標にし(ピリ3:14)、前進する時、力がみなぎります。私たちも、イエス様と共に、主の栄光に参加するようになります。
2.苦難の霊的な意味を考えよう(4-13)
 クリスチャンの苦難は、人が与えるもののように見えますが、実は、神様がその子どもに与える愛の訓練です(7,8)。神様の子どもは、栄光を受けるために、苦難も一緒に受けなければなりません(ロマ8:17)。訓練が、その時には悲しいもののように見えますが、訓練で鍛錬されると、平安な義の実を結ぶようになります。それで、私たちは訓練の時に、落胆せずに、積極的に苦難を担わなければなりません(12,13)。

祈り:主よ!苦難がむしろ、有益になることを信じます。苦難の時に、イエス様をさらに深く学ぶように助けてください。

一言:訓練は、神様の次元の高い愛



2014年 02月 12日 (水)

ヘブル12:14-29
拒まないように注意しなさい

1.エサウのようになってはならない(14-17)
 エサウは、空腹だからと言って、一杯の食物と引き替えに、長子の権利を売ってしまいました。彼は、神様の祝福をあまりにも軽んじた、愚かな者です。後に、彼は祝福を相続したいと涙を流して求めましたが、すでに時は遅かったのです。
 目の前の小さな利益のために、信仰を捨てる人は愚かな者です。私たちが、罪深い時代で、主を恥ずかしいと思うなら、主も、再臨の時に、私たちを恥かしいと思われます(マコ8:38)。
2.イエス様を拒んではならない(18-29)
 モーセは、シナイ山で、燃える山、黒雲、暗やみ、あらし、ラッパの響きをもって臨まれる神様の栄光を見て、ひどく恐れました。しかし、私たちが入る所は、シオンの山であり、生ける神の都です。そこには、無数の御使いたちがいて、天に登録されている長子たちの教会があり、全うされた義人の霊がいます。何よりも、万民の審判者である神様がおられ、新しい契約の仲介者であるイエス様がおられます。その時には、シナイ山で神様の栄光が臨んだ時のように、地上だけが揺れ動くのではなく、天までも震えます(2ペテ3:10)。従って、私たちは、敬虔と恐れ敬う心で、喜んで神様に仕えなければなりません。

祈り:主よ!私が世の欲と、心配のために、愚かなことをせずに、最後まで正しく生きるように、助けてください。

一言:天の都を望んで


<<(1)    前のページ(11)    12    次のページ(13)    (13)>>

聖書別日ごとの糧