聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2022]

2022年 05月 03日 (火)

ヘブル人への手紙3:1-6(1)
イエスのことを考えなさい

 昨日は、「押し流されないようにしなければなりません。」という著者からの言葉がありました。今日は、「イエスのことを考えなさい。」という勧めです。聖なる聖徒たちは、試練の時にはイエス様のことを深く考えなければなりません。人々は苦難や試練にあった時、状況や弱い自分ばかりに目を向けてしまいがちです。それで、さらに深い泥沼にはまっていきます。そんな時、私たちはイエス様がどんな方であり、どんなことを成し遂げて下さったのかを深く考えなければなりません。イエス様は、私たちに信仰を植えつける使徒(つまり、遣わされた者)であり、私たちのためにとりなして下さっている大祭司です。神様はキリストを、すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。神様は、キリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました。キリストによって、私たちは贖われて神のものとされ、御国を受け継ぐ者となりました(エペソ1章)。どんな苦難も苦悩も、迫害も、飢えも、裸も、危険も、剣も、私たちをキリストの愛から引き離すことはできません。私たちは、すでにキリストによって圧倒的な勝利者となっているのです(ローマ8:35,37)。

 ユダヤ人たちにとって、モーセは誰よりも優れ、尊い存在でした。モーセの律法は彼らの生活において、絶対的な基準でした。それで、ユダヤ人クリスチャン達は、イエス様よりもモーセのことをもっと沢山考えました。しかし、モーセは私たち同様に、主に仕える一人のしもべ、被造物の一つでしかありません。イエス様は、モーセよりもさらに尊いお方です。尊敬する人や見習いたい人がいることは、非常に良いことですが、彼らは私たちの主にはなれません。万物を造られた主キリストは、私たちをご自分の家として下さり、どんな時にも共にしてくださる方です。私たちの唯一の救い主です。



適用:試練と苦難の中にいますか

一言:イエス様のことを考えなさい



2022年 05月 04日 (水)

ヘブル人への手紙3:7-19(7)
御声を聞くなら

 聖霊さまは、「今日、もし御声を聞くなら、あなたがたの心を頑なにしてはならない」と言われます。旧約時代、イスラエルの民が神さまの約束された地に向かって歩んでいた時、多くの試みに遭いましたが、その度に神の御声に聞き従わず、逆らいました。そのため、イスラエルの民は出エジプトをして、救いを得たものの、カナンの地での安息を受けることができず、結局は荒野で死にました。

 今日の箇所は、私たちが直面している問題に対して神様が何とおっしゃっているかをよく聞くことが大切であると、教えてくれています。聖書の言葉を通して、主の御声を聞く時、私たちは心を頑なにしないで、御言葉をつかんで、信じ、問題を主に委ねなければなりません。イスラエルの民は、神様から「彼らを救い出し…広く良い地、乳と蜜の流れる地に…導き上る」(出エジ3:8)という約束の言葉を頂いていました。しかし、敵の城壁や背の高いアナク人たちを見た途端、神さまの約束が信じられなくなりました(民数記13-15章)。目の前の問題が、神さまの約束や言葉よりも大きくて強いと思ったのです。信仰生活というのは、目に見えるものによってではなく、神の約束によって歩むものです。実際に多くの信仰の先輩達が、問題が解決される前に主の言葉を信じ、信じた後に問題が解決されていくのを体験しました。長年奴隷としてみじめな生活を強いられたヨセフも、王として油注がれたにもかかわらず逃亡生活を続けなければならなかったダビデも、また、38年間病気にかかって横になっていた病人も、みな、神の言葉を素直に信じ、聞き従い、問題の解決を待ちました。私たちも、積極的に主の言葉を求め、聞き従い、神の平安の中で、主が私たちのために戦ってくださるのを見ましょう。



適用:安息の地に入りたいですか

一言:御声を聞く


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