聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2022]

2022年 05月 05日 (木)

ヘブル人への手紙4:1-13(12)
生きた、力のある神のことば

 聖書は、多くの箇所で、恐れてはならないと命じています。しかし、今日の箇所では、あることに関しては「恐れる心」を持つべきだと言っています(1)。それは、神の安息に入れないかもしれないということです。当時のユダヤ人クリスチャンたちは、迫害を恐れるあまり、神の安息(神との平和、永遠のいのち)を与えてくれる唯一の存在であるはずのキリストから離れようとしていました。神との平和よりも人との平和、神が与える守りよりも人が与える守りを求めました。彼らは、間違った恐れの持ち方をしていました。

 私たちも、例外ではありません。長年の友や、お世話になってきた人、上司や信仰生活を否定してくる身近な人、そんな人たちからの評価を、神さまからの評価よりももっと恐れてしまうことがあります。しかし、「からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。」とイエスさまはおっしゃいました(マタイ10:28)。箴言にも、「人を恐れると罠にかかる。しかし、主に信頼する者は高い所にかくまわれる。」(箴言29:25)とあります。

 神様は、私たちが間違った恐れと戦えるように、ちゃんと武器を与えてくださいました。それは、生きた、力のある神のことばという武器です。両刃の剣よりも鋭い武器です(12,13)。聖書のことばを私たちが心に蓄え、口ずさみ、祈りの言葉にしていくなら、御言葉は鋭い剣となって私たちのうちにある恐れを見分け、刺し貫いてくれるのです。自分が恐れている人たちが目の前にいると、震えてしまったり、心臓が高鳴ったり、体が硬くなるかもしれません。しかし、そんな肉の弱さの中ででも、正しい言動をとれるように、御言葉は私たちを強めて助けてくれるのです。



適用:神さま以外の存在をもっと恐れていますか

一言:神のことばで



2022年 05月 06日 (金)

ヘブル人への手紙4:14-5:10(15)
私たちの弱さに同情できない方ではありません

 私たちには、偉大な大祭司がおられます。その方は天に昇られた神様の御子イエス様です。偉大な大祭司イエス様は、一度のいけにえで、神様と人間の間をふさいでいる罪の壁を、一瞬にして取り除かれました。今は、イエス様を通して、いつでも神様の恵みの御座に近づけるようになりました。これが、私たちが信じる救いの道です。イエス様は肉体の服を着てこの地に来られたので、私たちの弱さを体験し、私たちに同情してくださいます。イエス様は、神様の理想と人間の現実全てを包括される方です。神様の律法をもって、私たちが到達すべき理想を提示されますが、人間の現実を無視して、原理原則だけにとらわれる方ではありません。人間の現実を理解し、罪を犯した人間の弱さを理解されます。また、この現実にとどまらず、神様の理想に到達できるように助けてくださいます。それで、私たちは主の恵みの御座に大胆に近づくことができます。人間の罪深い現実にうずもれることなく、神様の理想である義と聖さに至ることができます。

 旧約時代の大祭司は、人のために神様との間で仲介の働きをする特別な人でしたが、彼自身、弱い罪人であり、自分のためにも贖いのいけにえをささげなければなりませんでした。大祭司となる栄誉は、自分の意志によるものではなく、アロンのように神様に召されて受けるものです。同様に、キリストも大祭司となる栄誉をご自身で得られたのではなく、神様がイエス・キリストをご自分の子と呼ばれ、とこしえに、メルキゼデクの位に等しい祭司として任命されたのです。これによって詩編110編の預言が成就されました。この地におられる時、イエス・キリストは祈りの人でした。神様の御子であられるにもかかわらず、ご自分の思いの通りに生きず、神様の御心に従いました。イエス様は多くの苦しみによって従順を学び、救いの御業を完成されました。イエス・キリストは完全な者とされ、ご自分に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となられ、メルキゼデクの位に等しい大祭司となられたのです。



適用:自分の弱さのために絶望しますか

一言:恵みの御座に大胆に近づこう


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