2022年 05月 07日 (土)
成熟を目指して
信仰の年数を積んだからと言って、自然と成熟して行くわけではありません。本書の受信者であるヘブル人の聖徒たちは、イエス様に救い主として出会ってから、かなりの年月が経っていました。彼らは神様の御言葉を教える先生になっていて当然でした。ところが彼らは、相変わらずキリスト教信仰の基本真理について、教えを受けなければならない立場にとどまっていました。乳が幼子のために準備されたものであるなら、固い食べ物は成長した人たちの物です。ヘブル人の聖徒たちは、年を取ったにも関わらず、まだ、乳を求めて、固い物を食べられない人たちのようでした。彼らはキリストに関する福音真理も完全に理解できていませんでした。さらには、キリストを受け入れた聖徒たちが、当然、生きるべき福音的な生き方もよく知りませんでした。
私たちは、初歩の教えを後にして、成熟を目指して進まなければなりません。成熟した者として成長するためには、神様の御言葉を熱心に学び、聞き従うことで、義の御言葉を経験しなければなりません。その時、私たちは全てのことにおいて、霊的な分別がつき、善悪を見分け、日々の生活の中で神様を喜ばせる者として成長するようになります。死んだ行いからの回心(悔い改め)、神に対する信仰、きよめの洗いについての教え(バプテスマ)、手を置く儀式(按手)、死者の復活、永遠のさばきは、信仰の初歩に属するものです。もちろん、これらのものは大切なものです。ですが、私たちは、このような基礎の上で、成熟したキリストの弟子であり、神様の民として、成長しなければなりません。成長することなく初歩にとどまるなら、堕落してしまいがちです。信仰の初歩から抜け出して、成熟を目指して進んで行かなければなりません。
適用:初歩にとどまっていますか
一言:完全なところに進み出よう
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