聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2022]

2022年 07月 15日 (金)

ヘブル人への手紙 10:1-18(14)
一つのささげ物によって完成された

律法の時代に、大祭司は毎年、贖罪の日にいけにえをささげました。祭司たちは毎日朝と夕方に羊を屠り、全焼のささげ物として捧げました。小麦粉十分の一エパ、すなわち2.4リットルの小麦粉でパンを焼いて穀物のささげ物として捧げました。他にも、ワイン四分の一ヒンを注ぎのささげ物にしなければなりませんでした(民28章)。それは毎日労働のようにしなければならない大変なことでした。このことを「レビ人の苦役」と呼びました。このように毎日行っても、神殿に出てくる者たちを完全にすることができませんでした。ただ一度だけで清めることもできず、罪意識を消し去ることもできませんでした。むしろ、これらのささげ物は、罪を思い出させるものでした。しかも祭司制度は形骸化し、神様は全焼のささげ物と罪のきよめのささげ物を喜ばれませんでした。祭司制度による罪の問題解決は、限界がありました。人間の内面の根深い罪の前には何の役にも立たないものになりました。

神様はこのような人間を決して諦められませんでした。それで、巻物(聖書)の書に書かれているように、イエス様がこの地に神様の御心を行うために来られました。その意味は、9節にある通り、「初めのもの」、即ち最初の祭司制度を廃止し、「第二のもの」、即ち新しい祭司制度を立てることです。イエス様はこの御心に従って十字架でその体をただ一度だけささげられ、永遠の交わりのいけにえとなられました。キリストは罪のために永遠のいけにえを神様に捧げられました。そのことにより、第一に私たちは聖なる者とされました(10)。第二に、私たちを永遠に完成されました。足りなくても、神様はイエス様の血を見て、私たちを完成された者として受け入れておられます。また、神の右の座に着いておられるイエス様は、神様の前に完成された者として立ち続け、私たちを助けてくださいます。敵の勢力に勝ちます(13)。また、神様は私たちの罪と不法を二度と思い起こさないと聖霊が証しています(17)。



適用:私たちを永遠に完成されたイエス様の犠牲を黙想しましょう

一言:ただ一度のささげ物



2022年 07月 16日 (土)

ヘブル人への手紙 10:19-39(22)
神に近づこう

イエス様の血によって聖所の垂れ幕が引き裂かれ、神様に近づくことができる新しい生ける道が開かれました。今、その血によって大胆に近づくことができます。それで私たちは、十字架の血で良心の悪を悟り、毎日悔い改め、真心と全き信仰をもって神に近づかなければなりません(22)。ここで真心とは、キリストの血で洗われた真実な心を言い、全き信仰とはどんなものにも揺るがない堅固な信仰のことを言います。信仰生活は日々真心と全き信仰をもって神様に近づくことです。神様に近づいて交わる時、信仰が成熟し、神様から恵みと力を受けます。神様はキリストの血によって罪の中にいた私たちを交わりの場に導いてくださいました。神様と親密な交わりをする時、満ち満ちた身丈にまで成長することができます。希望を固く掴み、聖徒の間で互いに気にかける生活をしなければなりません。善行を促すために励まし合う必要があります。集まることに力を入れなければなりません。集まりをやめて、一人でいる者は罪の誘惑に陥りやすくなります。

神様に近づいて交わらなければどうなりますか。「進んで罪にとどまり続けるなら、もはや罪のきよめのためにはいけにえは残されておらず」(26)とあります。ここで、「進んで罪にとどまり続ける」とは、真理を知る者が故意に罪を犯していることを言います。29節のように、神様の子イエス様を踏みつけ、自分を聖なる者とした契約の血を汚れたものとみなして、恵みの聖霊を侮ることを言います。こうなると当然、厳しい審判を受けます。聖徒は苦難の中にあっても、苦難の大きな戦いに耐えて勝利されたイエス様のことを考えなければなりません。誹謗と嘲笑と苦難に勝った信仰の先輩を考えなければなりません。患難の中で大胆でなければなりません(35)。忍耐する必要があります(36)。この世はしばらくのものです。すぐにイエス・キリストが来られます。イエス様の血によって神様と正しい関係性を結ぶようになった義人は、ただ信仰によって生きなければなりません。



適用:どんな姿勢で神様に近づきますか

一言:真心と全き信仰によって


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