聖書別日ごとの糧   >>   ヘブル[2022]

2022年 07月 23日 (土)

ヘブル人への手紙13:1-8(8)
とこしえに変わることがない

信者は兄弟愛をいつも持っているべきです。当時、聖徒たちの中では迫害によって牢につながれている人々、散らされた人々が多くいました。このような状況で彼らをもてなし、牢にいる人々、虐げられている人々を思いやるのが兄弟愛です。私たちは罪によってさまよい苦しんでいる兄弟たちを、知らん顔しないで愛によって助けなければなりません。同時に、結婚がすべての人の間で尊ばれ、寝床が汚されることのないようにしなければなりません。神様は、淫行を行う者と姦淫を行う者をさばかれます。私たちは金銭を愛する生活をせず、今持っているもので満足すべきです。物質問題があっても、恐れる必要はありません。神様がいつも共におられ、助けてくださるからです。物質主義と快楽主義が氾濫しているこの時代にも、ただ神様に頼り、聖なる生活をしなければなりません。

信者は、神様の御言葉を教えてくれた牧者たちを覚え、彼らの生き方から生まれたものをよく見て、その信仰を倣うべきです。しかし、牧者たちも人間です。倣うべきではない弱点もあるでしょう。また、牧者たちは羊たちを永遠に守ることはできません。一方、イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。いつも私たちと共におられ私たちを愛によって助けて下さいます。イエス・キリストは時代を超えて、すべての信者たちが永遠に従うべきお方です。



適用:誰に頼っていますか

一言:とこしえに変わらないイエス様



2022年 07月 24日 (日)

ヘブル人への手紙13:9-25(13)
宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか

旧約時代には贖罪のいけにえの献げものが宿営の外で焼かれました。これと同様に、イエス様は私たちの罪を贖うためにエルサレムの宿営の外で苦難を受け、死なれました。イエス様はご自身を、生けるいけにえとして神様にささげてくださいました。私たちも宿営の外に出て、イエス様のみもとに行き、イエス様が受けられた辱めを身に負わなければなりません。これこそ、神様が願われるいけにえです。また、いつまでも続く都をこの地上にもっているのではなく、むしろ、来るべき都を求めています。私たちは永遠の都を待ち望み、イエス様を通して、賛美のいけにえを絶えず神様に献げなければなりません。神様はいけにえを献げることよりも、善を行うこと、分かち合うことを喜ばれます。また、私たちは指導者たちの言うことを聞き、服従しなければなりません。なぜなら彼らは私たちのたましいのために見張りをしているからです。ですから、彼らが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。指導者たちのために祈りましょう。彼らは正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動したいと思っているからです。



適用:イエス様の辱めを身に負っていますか

一言:苦難を受けたイエス様に近づこうではありませんか


<<(1)    前のページ(12)    (13)>>

聖書別日ごとの糧