聖書別日ごとの糧   >>   ヤコブ[2022]

2022年 09月 18日 (日)

ヤコブの手紙 2:1-13(1)
人をえこひいきしてはいけません

栄光の主イエス・キリストを信じる者たちは、具体的にどのような人生を生きなければなりませんか。人をえこひいきしてはいけません。神様は人のうわべを見てえこひいきする方ではありません。ところが、当時の聖徒たちの中には、金の指輪をはめ、りっぱな服装をした人が会堂に入って来ると、その人に目を留め、良い席を勧めました。そして、貧しい人が来ると冷たく扱いました。このような姿は、今日でも見られることです。人のうわべだけを見てえこひいきすることは、悪い考え方に従って人をさばくのと同じです。神様は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者としました。また、神様を愛する者に約束されている御国を相続する者とされました。ですから、貧しい者を差別することは、神様に敵対することでもあります。聖徒たちの共同体では、富む者も貧しい者も、同じように尊くもてなすべきです。

神様は「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」(8)と言われました。これは、神様の民が当然守るべき最高の律法です。私たちの隣人とは、今、実際に助けが必要とされる人を指しています。神様は、私たちが苦境の中にいる隣人を顧みて、実質的に助けることを願われます。どんな時代であっても、どんな状況の中にあっても、この法律は変えられません。12節で「自由の律法によってさばかれる者らしく語り、またそのように行ないなさい。」とあります。「自由の律法」は、まさにキリストの福音を指します。福音によって救われた聖徒たちは、旧約の律法の下にある人々より、さらに成熟し、積極的に愛を実践すべきです。



祈り:主よ!私も人をうわべだけで見て差別することがあったことを認めます。これからは、苦境の中にいる隣人に、むしろ仕えることができるように助けてください。

一言:差別より、助けよう



2022年 09月 19日 (月)

ヤコブの手紙 2:14-26(26)
行いのない信仰は、死んでいるのです

当時、聖徒たちの中には信仰によって救われたと言いながら、信仰による行いがない人たちがいました。本当に信仰がある人は、苦境の中にいる人を助ける人です。兄弟や姉妹が貧しくて着る物がなく、毎日の食べる物にも欠いているようなときに、「安心して行きなさい。暖かになり、十分に食べなさい」と言うだけで、からだに必要な物を与えないなら、何の役にも立ちません。真の信仰には行いが伴います。知識の上では神様を知っているからと言って、信仰があると錯覚してはいけません。知識の上では、悪霊も神様のことをよく知っています。行ないがない信仰は、それ自体が死んでいるものです(17)。

私たちの信仰の先祖アブラハムは、神様の御言葉に聞き従って、イサクをいけにえとしてささげました。アブラハムは神様の約束と、神様が息子イサクを死者の中から生き返らせてくださることを信じました。しかし、アブラハムは信仰だけにとどまりませんでした。イサクはアブラハムにとって最も大切な存在でしたが、彼は信仰によってそのイサクをささげました。従順によって彼の信仰は全うされました。遊女ラハブは、イスラエルの神様が天にも地にも生きておられること、神様がカナンの地をイスラエルの手に渡されたことを信じました。その信仰は、イスラエルの使者たちを招き入れた行動によって、現れました。このように本当の信仰は、行動によって現れます。いのちと呼吸が切り離せないように、信仰と行ないは切り離すことができません。



祈り:主よ、私がことばだけのクリスチャンであることを悟りました。私が、行ないのある生きた信仰の人になるように、助けてください。

一言:生きている信仰


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