聖書別日ごとの糧   >>   ペテロⅠ[2003]

2003年 04月 12日 (土)

ペテロノ手紙第一1:1-12
生ける望み

Ⅰ.消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださった神様(1-5)
 使徒ペテロは迫害によって散らされたクリスチャンたちに手紙を送りながら、彼らを「寄留者」だと呼んでいます。私たちはこの世にしばらくとどまって旅立つ「寄留者」です。私たちは寄留者の人生哲学を持たなければなりません。ところがクリスチャンたちは普通の寄留者ではなく、「神様から選ばれた寄留者」すなわち聖なる寄留者たちです。なぜでしょうか。それは私たちの主イエス・キリストの父なる神様が私たちをよみがえらせたことによって、生ける望みを持つようにされたからです(4)。生ける望みとは私たちを生かす望み、永遠に生き続ける望みを指します。世の多くの人々は死んだ望みをつかんで生きています。しかしクリスチャンたちには生ける望みがあります。神様は私たちに消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。それは神様が私たちのために天にたくわえられたからです。
Ⅱ.試練の意味(5-12)
 クリスチャンたちは世の人々と価値観、人生観が違い、望みが違うのでこの世で生きている間、多くの試練を経るしかありません。これは苦痛の過程です。しかしそれは決して無意味な苦難ではないのです。なぜならそれは私たちの信仰を訓練する神様の訓練だからです。使徒ペテロは、「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊い」と言いました。それはイエス様が再び来られる時、賞賛と光栄と栄誉に至るものだからです。

祈り:主よ!信仰の試練をくださることを感謝します。

一言:訓練はつらい、でもその実は甘い



2003年 04月 13日 (日)

ペテロノ手紙第一1:13-2:3
純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。

Ⅰ.あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。(1:13-21)
 天の御国に対する望みを持って生きている人々は心の帯を引き締め、身を慎まなければなりません。イエス・キリストが現われる時、もたらされる恵みをひたすら待ち望まなければなりません。前にイエス様を知らなかった時に行なったように、行なってはいけないのです。クリスチャンたちはあらゆる行ないにおいて聖なるものとされなければなりません。なぜでしょうか。それは私たちを召してくださった神様が聖なる方であり、神様が人の行ないによってさばかれるからです。私たちが先祖から伝わったむなしい生き方から贖い出されたのは、イエス様の尊い血によるものです。その血は私たちを聖なるものに変える血なのです。
Ⅱ.それによって成長し、救いを得るためです。(1:22-2:3)
 クリスチャンたちは互いに熱く愛し合わなければなりません。それは私たちがイエス様を信じる時、偽りなしに兄弟を愛することができる存在になったからです。またクリスチャンたちは乳飲み子が母親の乳を慕い求めるように、神様の御言葉を慕い求めなければならないのです。なぜでしょうか。神様の御言葉は私たちの信仰を成長させる純粋な乳だからです。世にある全てのものはしばらく存在しますが、消えて行くものです。しかし神様の御言葉は永遠にあるのです。私たちは、生きていて永遠の神様の御言葉によって生まれ変わりました。それで私たちはこの世のどんなものよりも御言葉を愛し、慕い求めなければなりません。その時、私たちは成長し救いを得るようになるのです。

祈り:主よ!私が今まで兄弟を熱く愛することができなかったことと、御言葉を慕い求めなかったことを悔い改めます。

一言:神様の御言葉を慕い求めます。


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