聖書別日ごとの糧   >>   ヨハネⅠ[2018]

2018年 06月 25日 (月)

ヨハネの手紙第一3:1-10(9)
神様から生まれた者

 第一に、神の御国に望みを持って、清く生きるべきです。神様の子供は、将来、どのようになりますか。私たちはキリストに似た者となることがわかっています(2)。復活されたイエス様のように私たちも栄光に輝く者として復活します。今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものです。卑しいもので蒔かれ、栄光あるものによみがえらされるからです(Ⅰコリント15:43)。その時、イエス様と再び会えます。「キリストに対するこの望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。(3)」清さとは義なる生き方、清く生きることを意味します。イエス様はその血潮で私たちを清くして下さったのですから、汚い生活を離れ、自分を清めなければならないのです。第二に、罪を犯してはなりません。罪とは律法に逆らうことです。イエス様は罪を取り除くために来られました。誰でもキリストのうちに留まる者は罪を犯しません。なぜなら、そのうちには聖なる生命の種、御言葉があるからです。神様の子供は罪に打ち勝ち、義なるイエス様を見習い、義を行う者です。罪を犯す者は悪魔に属する者であり、悪魔の子供です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。イエス様は悪魔の仕業を打ちこわすために来られたのです。神様の子供は子供らしく、御国の望みを抱く者として聖なる生活をしなければなりません。イエス様の品性を真似て義を行わなければなりません。また、兄弟を愛します。私たちが日々、自分の身分が何なのかを考え、神様の子らしく生きるように祈ります。

適用:神様から生まれた者ですか

一言:罪を犯しません



2018年 06月 26日 (火)

ヨハネの手紙第一3:11-24(18)
行いと真実をもって愛しましょう

 この世が私たち聖徒を憎んだら、どのようにすべきでしょうか。驚いてはならず、続けて愛を実践するのみです。私たちは兄弟を愛することで死からいのちに移されました。兄弟を憎む者は殺人者であり、殺人者には永遠のいのちがありません。どんな状況に処せられても、兄弟を愛さない時には、結局死を招くことになる事実を胸に刻まなければなりません。イエス様の愛を理解する時、私たちは兄弟を愛するようになります。イエス様は私たちのために、いのちをお捨てになりました。それによって、私たちは真実な愛がどんなものであるかを知るようになりました。ですから、私たちも兄弟のためにいのちを捨てることは当然です。愛は具体的であり、実際的なことです。もし、世の富を持っている人が、兄弟の困っている姿を見ても、助けないならば、その人には神様の愛はないのです。ことばや口先だけで愛することをせず、行いと真実をもって愛さなければなりません。兄弟に愛を施すとき、どうなりますか。自分が真理に属している事実を確信するようになります(19)。自分の心に責められることなく、神様の御前に大胆に出ることができます(20,21)。神様に求めるものは、何でもいただくことができます(22)。神のうちにおり、神もまたその人のうちにおられます(24)。兄弟を愛するなら、霊的に多くの有益があります。

適用:ことばや口先だけで愛していますか

一言:行いと真実をもって


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