聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 03月 04日 (金)

民数記14:1-9(9)
彼らは私たちの餌食となる

 十人の族長たちの偵察報告を聞いた全会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かしました。彼らは神様が立てたしもべ、モーセとアロンに対して不平を言いました。また神様の救いの恵みを蔑視しました(2,3)。それだけではありません。彼らはモーセを追い出して自分たちの思いを代弁してくれる新しい指導者を立ててエジプトに帰ろうとしました。(4)。そこで、モーセとアロンは、イスラエルの会衆の集会全体の前でひれ伏しました。「ひれ伏した」というのは、土下座して謝ったという意味ではありません。これは、事態の深刻さと緊急性を神様に訴えて、神様の憐れみと恵みを求めたということです。二人は、民に向かって言い返すことをせずに、神さまの方にすぐ向いて、助けを求めました。すると、ヨシュアとカレブが霊的な怒りで自分たちの衣を引き裂き、偵察してきた地は素晴らしく、良い地だったと証言しました(7)。そして勝利に対する確信を植え付けました。主である神様が共にしておられるのだから、どんな敵もイスラエルには勝てません。彼らは主が用意された食卓であり、上って行って食べさえすれば良い、イスラエルの餌食でした。ですから恐れてはなりません(8,9)。

 霊的な指導者は、状況を正確に把握すること以上に、神様の約束に基づいた信仰の目で状況を理解して判断しなければなりません。多数派が必ず正しいのではありません。神様の約束を信じる少数が、約束を信じない多数よりも正しいのです。神様は信仰を持っている少数を祝福されます。



適用:敵を恐れていますか

一言:彼らは私たちの餌食



2022年 03月 05日 (土)

民数記14:10-25(23)
彼らの父祖たちに誓った地を見ることはない

 カレブの信仰に満ちた証言を聞いても、イスラエルの全会衆は心を変えませんでした。むしろ、モーセとアロンを石で打ち殺そうとしました。すると、そこに主の栄光が現れました(10)。主はモーセに、いつまでも信じようとしない民たちを疫病で打ち、ゆずりの地を剥奪すると宣言されました。これに対して、モーセは懸命なとりなしをしました。主は、「あなたのことばどおりに、わたしは赦す。」とモーセのとりなしを受け入れました。

 ところが、イスラエルの民は神さまが父祖たちに誓った地に入ることができない、と主はおっしゃいます。なぜでしょうか。主は、彼らを赦されたのではないのでしょうか。原因は、民の側にあったと言えます。民は、神と自分たちとの唯一の仲介者であるモーセとアロンを拒み、他にかしらを一人立てようとしました。主の栄光が現れたため、モーセたちを殺すことはしなかったものの、その後、自分達の非を認めて悔い改める姿もありません。民は、モーセとアロンを指導者として受け入れて二人の言葉に従うべきでした。なぜなら、モーセは、神ご自身が仲介者として遣わした主のしもべであり、アロンはモーセの代わりに話す者として召されたからです(出エジ3:10, 4:16,民12:6-8)。民が出エジプトした後に約束の地に向かって歩めるのは、神様が二人を通して彼らを導いて下さるからです。二人を拒み、神さまと自分達をつなげる仲介者のいない道を選ぶなら、彼らは異邦人と同じになり、主と共に歩むことはできません。

 神様は、モーセとアロンよりさらに優れた仲介者を遣わしてくださいました。「神は唯一です。神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自分を与えてくださいました」と聖書は言っています(Iテモテ2:5,6)。私たちが父なる神様と交わり、将来、天の御国に入れるのは、イエス・キリストが私たちを贖って下さったからです。



適用:どうやって主なる神と共に歩めますか

一言:イエス・キリストによって



2022年 03月 06日 (日)

民数記14:26-45(41)
いったいなぜ、主の命令を破ろうとするのか

 モーセが神様の御言葉を民に伝えると、彼らは嘆き悲しみました(27-36)。しかも、偵察した地を悪く言いふらした者たちは、主の前に疫病で死にました。これを見た民は、怖くなって、自分たちは神様に罪を犯してしまったと言いながら翌朝早く、山地の峰の方に上って行こうとしました(40)。行動を起こそうとした彼らは、一見すると真実に悔い改めたように見えます。しかし、彼らは四十年間荒野の訓練を受けるようにした神様の命令に従わず、カナンの地に上って行くと言ったのでした。モーセは彼らに、それは主の命令を破ることであり、成功しないと厳しく警告しました(41-43)。それにもかかわらず、彼らは山地の峰の方に上って行きました。主の契約の箱とモーセは、宿営の中から動きませんでした。彼らは自分たちの力で失敗を挽回しようと無謀な戦争を起こしました。神様の助けがなくても自分たちの力でカナン人を討ち、勝利ができると思ったに違いありません。 その結果、神様が共におられない戦いで、イスラエルの民は惨敗し、犠牲者も多く出てしまいました。

 イスラエルの民は、神様が上りなさいと言われた時には上らず、上って行ってはならないと言われた時に上って行きました。結果は惨敗でした。自分勝手な方法で犯した罪を挽回しようとするのは、真の悔い改めではありません。真の悔い改めに相応しい実は、神様の御言葉に従順になることです。神様の御言葉に聞き従う時だけ、真の勝利が与えられます。



適用:神様の命令に従順ですか

一言:従順が成功の道


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