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2022年 05月 29日 (日)

民数記23:1-30(8)
神が祝福される者をどうして呪えようか

 モアブの王バラクは、バラムにイスラエルを呪ってほしいと願いしましたが、逆に彼はイスラエルを祝福しました。その理由の一番目は、イスラエルは聖別され、一人離れて住む民族であり、他の民族と運命を共にしない特別な民であるからです。二番目は、神様の祝福と恵みを豊かに受け、とても繫栄する民になるからです。蜂のように多いイスラエルを見て、バラムは祝福をしたのだとバラクは思いました。それでイスラエルの一部しか見ることができないピスガの頂きに場所を移しました。しかし、ここでもバラムはイスラエルを祝福する預言をもう一度告げたのです。神様は人ではないので、偽りを言うことがなく、人の子ではないので、悔いることが無い。神様が仰せられたら、それは必ず実行されます。バラムは主が告げられることはみな、忠実に語らなければならないと言いました。神様の民であるイスラエルは、野牛の角のようで、そのうちには占いはなく、彼らを攻撃することは、獰猛な獅子と戦うのと同じで、自滅を招くことです。

 私たちの主は、選ばれた民を祝福の源とされ、祝福されます。神様から祝福を与えられた者を誰が呪えるでしょうか。たとえ人が呪ったところで、それで何か起こりえるでしょうか。神様が祝福を与えられた者を呪えば、その呪いがそのままその人に返って来るだけではないでしょうか。私たちはこの神様を信じて歩んでゆきましょう。祝福される神様を信じることによって、勝利の人生を歩んでゆけるように祈ります。



適用:神様から頂いた祝福が奪われはしないかと恐れていませんか

一言:神様からの祝福は奪われません


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