聖書別日ごとの糧   >>   民数記[2022]

2022年 05月 31日 (火)

民数記25:1-18(11)
わたしのねたみを自分のねたみとした

 イスラエルはシティムにとどまっていましたが、モアブの娘たちと淫らなことをする事件が起こりました。モアブの娘たちが、バアルの神殿に入り、飲み食いし、罪を犯したとき、イスラエルの民も誘惑に乗ってしまいました。祭司の王国、聖なる民のイスラエルがしてはならない罪でした。主は怒りを燃やし、淫らな行いをしたものをさらし者にするように命じられました。偶像崇拝と淫行は、神様が最も嫌われることです。主の罰が彼らに下りました。しかし、そんな神様の御怒りをものともせず、ミディアン人の女を連れて来て、罪を犯す者がいました。罪の力とはどこまでもしつこいものです。この時、祭司アロンの子エルアザルの子ピネハスは槍を手に取り、後を追って、二人を刺して殺しました。すると主の罰が終わりました。

 ピネハスが、神様のねたみで、罪を犯したものを始末したので、イスラエルの全会衆は滅亡の危機から免れることができました。神様のねたみとは、神様の愛を裏切り、霊的に外れたところからくる怒りです。ピネハスはこの思いをもって、淫行の罪と戦い、イスラエルを大きな災いから救うことができました。主の怒りを治めるためには、罪と果敢に闘わなくてはいけません。罪を憎む聖なる怒りと、神様を愛する熱い情熱が必要です。その時、私たちの集まりをサタンの誘惑から守ることができます。現代にあってもサタンは誘惑の矢を放ち、若者の心を患わせます。私たちもサタンの心臓を射抜く、ピネハスの槍を高く掲げましょう。ピネハスはこのことで、祭司職を代々担うことになります。私たちも今の時代、罪の勢力と積極的に闘い、祭司の王国の職を全うできますように祈ります。



適用:聖なる怒りをもっていますか

一言:神様のねたみ


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