2019年 03月 10日 (日)
火の馬と戦車が山に満ちていた
預言者のともがらが、自分の住む所を作るために木を切り倒すとき、斧の頭を水の中に落としてしまいました。当時、青銅器の文化だったイスラエルでは、鉄の斧は非常に高価なものでした。彼らは貧しかったので、とても困ってしまいました。そのとき、エリシャが一本の枝を投げ込むと、斧の頭が浮かぶ、という奇跡が起きました。エリシャの神様は創造主であられるので、自然の秩序さえもその御手の中にあります。
アラムの王がイスラエルと戦っていたとき、イスラエルの王が通る道を奇襲して殺そうとしましたが、エリシャがイスラエルの王に事前に告げていたので、アラムは度々失敗しました。エリシャには、アラム王の寝室の中で語られることばまでも聞こえるほど、霊的な力がありました。アラム王は馬と戦車と大軍とを、エリシャのいるところに送り、その町を包囲しました。それをみたエリシャの召使いは非常に恐れましたが、エリシャは、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者よりも多いのだから」と言ってから、主に祈り願いました。「どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。」主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていました。エリシャが主に、「どうぞ、この民を打って、盲目にしてください」と祈った時、主は彼らを打ったので、彼らは盲目にされました。アラム王がどれだけ強くとも、主の軍隊にとっては、一瞬にして火に焼かれる葦のようなものです。私たちはときどきこの世に負けそうになるときもあります。しかし、恐れる必要はありません。主の火の馬と戦車が私たちを取り巻いているからです。私たちがその主の軍隊を見るためには、祈りが必要です。
エリシャは、天の御国の軍隊をも動かした霊的な司令官でした。危機のとき、必要なのは大勢の人ではありません。一人の霊的な力に満ちた、霊的な指導者がもっとも大切です。今も主は、私たちを守っておられます。この神様の御力を信じるとき、私たちも霊的な戦いに勝利することができます。
適用:恐れていますか
一言:目を開けて主である神の軍隊を見上げましょう
2019年 03月 11日 (月)
災いは誰からなのか
アラムの王ベン・ハダデがサマリヤを包囲しました。サマリヤ城は長い間の包囲のゆえに、食料が底をつきました。深刻な食糧不足とインフレで、通常なら食料になりえないはずの不足のろばの頭一つが、食料用として銀八十シェケルで売られ、燃料として鳩の糞一カブの四分の一が銀五シェケルもしました。さらには、幼い子供を食べてしまうことまでが起こりました。騙されて自分の子供を失った一人の女性の訴えは、北イスラエルの王の心を深く悲しませました。ところが、彼はこのようになった原因はエリシャと神にあると考えました。 「きょう、エリシャの首が彼の上についていれば、神がこの私を幾重にも罰せられますように。(31)」エリシャが以前、捕虜として捕らえたアラムの軍隊を殺さないで解放したことが、全ての災いと苦難の原因だと思ったようです。王はすぐにエリシャを殺そうと使者を送りました。この使者は、災いは主からのものであり、これ以上、主に期待できるものはないと、王の考えを伝えました。
しかし、王は二つのことを悟らなければなりませんでした。第一に、この悲劇がエリシャや神様ではなく、自分たちの罪が原因であることです。彼らは、アハブ王の偶像崇拝と殺戮の罪から離れませんでした。第二に、神様の力を悟るべきです。神様は、上等の小麦粉一セアも一シェケルで売買し、大麦二セアを一シェケルで売買される神様です。使者は、神様が天に窓を作って穀物を注ぎ込んでもこのようになることはないと言って、信じようとはしませんでした。そこでエリシャはその使者にこの奇跡を見ることは出来ても、食べることはできないと言いました。王も使者も悔い改めず、神様の力を制限しました。自分たちが災いを招いたことを悟るべきでした。
適用:災いの原因がどこにありますか
一言:自分を顧みよう
<<(1) 前のページ(5) 6 次のページ(7) (24)>> |