2022年 03月 25日 (金)
主はとこしえにおられます
この詩は、苦難を受ける者が神様に自分の心を注ぎ出した時の祈りです。彼の苦難と心配は個人的なものでもありますが、民族的な苦難でもあります。詩人は、主に向かって、自分の祈りを聞いてくださるように、苦しみの叫びにすぐ答えて下さるように祈ります。苦しみのゆえに彼の骨は炉のように燃えました。食べることを忘れ、彼の心は青菜のように打たれてしおれてしまいました。屋根の上のはぐれた鳥のように眠れない夜を過ごしました。敵たちは絶えず彼をそしりました。彼は灰をパンのように食べ、涙を混ぜ合わせた飲み物を飲みました。彼は自分の身の上が欠けていく影のようで、しおれる草のようだと言っています。詩人はここで、「しかし、主よ」と呼びながら神様を仰ぎ見ました。とこしえに御座についておられる永遠なる神様を仰ぎ見、神様の憐れみを仰ぎ見ました。定めの時にシオンをあわれんでくださることを信じました。シオンを回復し、主の聖なる名をシオンで宣布するようにしてくださり、民族と国々がともに集まって主に仕えることを信じました。
苦難にあって悲しみと苦しみの中にいる時、どうすれば良いでしょうか。自分の苦しみを主の御前に注ぎ出さなければなりません。永遠なる主を仰ぎ見なければなりません。その時、私たちは信仰と望みをいただくことができます。色々と難しさがある中、私たちはどのように福音の御業に仕えて行けばよいのかを心配し、嘆息したりします。しかし主は、とこしえに生きておられます。主の栄光と名声は代々に至ります。定めの時が来ると、神様はシオンを回復してくださり、主の栄光を告げしらせ、諸国の民や王国が主である神様に仕えるようにされます。私たちはこの望みを仰ぎ見なければなりません。
適用:苦しみの中で心が病み、痛む時、どのようにしますか
一言:心を注ぎだして主を仰ぎ見てください
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