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2023年 01月 01日 (日)

創世記 12:1-9(2)            新年特集
あなたを祝福し

新年明けましておめでとうございます。主の祝福で新しい旅を始めたアブラハムのように、私たちも、神様からの祝福を頂きながら2023年の旅をスタートしましょう。

神様は、アブラム(この時、名前がまだアブラハムになっていませんでした)を召されました。神様がいない世の国々が、どんどん大きく強くなってく中、そのような国々とは違う共同体を建てるために、彼を召されました。アブラムは新しい歴史をつくるために、住み慣れた土地、父の家を出て神様が示してくださる地へ行かなければなりませんでした。神様は「行きなさい」という命令と共に、約束も与えてくださいました。「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたを大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい」(2)。神様がアブラムを通して建てようとされる国は、神様がくださる祝福で生きる国です。「あなたを祝福し、…あなたは祝福となりなさい。…地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」とありますが、ここでの「祝福」は、神様が一方的なプレゼント(恵み)として天からくださる祝福のことです。人間の努力と力で作り出す祝福ではありません。このような一方的な祝福を受け取る人を、アブラムを通して数多く立てることが、神様の計画だったのです。アブラムは御言葉に従順に出て行きました。詳しい行き方や具体的な行き先を知らされないまま、信仰によって出て行きました。そして、主の祝福を特別に受けた共同体をスタートさせました。父なる神様は、アブラムを祝福されたのと全く同じ祝福を、子である私たちにも与えてくださっています。父なる神さまの恵みと祝福が私たちの力の源であることを忘れずに、力強く生きる一年となるようにお祈りいたします。



祈り:父なる神様、今年一年間も、祝福と恵みをもって私を満たして下さることを信じて感謝します。私は、主にあって祝福されている者です。ハレルヤ!

一言:あなたは祝福となりなさい



2023年 01月 02日 (月)

詩篇130:1-131:3(130:5)
私は主を待ち望みます

詩人は、罪によって深い所に落ちていました。罪によって落ちたところは、深く、暗く、苦痛が伴うところでした。自力では、抜け出すことが難しい状態です。このように、大きな罪であっても、小さな罪であっても、罪は人を深い所に落としてしまいます。霊的に深い淵に落とします。暗く、もどかしく、無力な状態にさせ、抜け出せない状態に陥れます。そして、神様から遠ざけます。しかし、詩人は、深い淵から神様を呼び求め、主にすがりつきます。主を待ち望み、主の御言葉を望んでいます。夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ち望みます。人々が甘い夜に浸っている間、夜回りは眠ることができません。夜回りにとって、夜はあまりにも長く、つらく、孤独です。夜回りにとって、夜明けは望みであり、いのちです。詩人も、神様を待ち望みます。なぜなら罪を赦し、救ってくださる方は、神様だけであることを知っているからです(4)。神様の御言葉と赦しだけが、救いと望みといのちを与え、たましいを和らげ、いのちと喜びがあふれ出る源です。私たちが深い淵に落ちた時には、詩人のように神様を切に探し、すがりつきましょう。慈しみ深い神様は、そのような人と会い、全ての罪から贖ってくださいます。

詩人は、自分の限界をよく知っています。それで、高ぶらず、担いきれないことをしようとはしません。大きな欲を持ちません。彼はただ、主だけを待ち望み、頼ります。自分の限界を知り、主に頼る彼のたましいは、母親に抱かれた乳飲み子のようです。恐れや心配がありません。たましいは静かで、平穏で、幸せです。高ぶる人には、このような静けさと平安がありません。私たちも、今からとこしえまでに、主を待ち望みましょう。



祈り:主よ、あなたには赦しがあり、恵みがあり、豊かな贖いがあることを信じます。どんな深い淵にいたとしても、あなたを呼び求めますから、あなたの赦し、恵み、贖いを体験させて下さい。

一言:主を待ち望め


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