1997年特別講義

あなたの天幕の場所を広げ
御言葉:イザヤ54:1?17

要 節:54:2「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」

 イザヤ書は全能の神様が歴史の主管者であることを教えています。私達が人間的な観点から世界を見ると人が世界の歴史を主管しているように見えます。そのように見ると自分の人生が砂の上に立てられているように見えます。そして試練に会うと私達は失望したり絶望します。しかし私達が全能の神様がこの世の歴史を主管していることを知り、神様の約束の御言葉を信じるなら自分の人生の家が崩れることがない岩の上に立てられていることがわかります。40ー55章でイザヤはイスラエルの歴史のもっとも苦しかった時代について書いています。イスラエル人は70年間バビロンで捕虜として生活をしました。その時代はイスラエルの暗黒の時代でした。神様は希望がないように見えるイスラエルに対しても変わらず希望を持っておられます。54章でイザヤは神様がイスラエル人に対して持っておられるビジョンと希望について語っています。主は悲しんでいるイスラエル人に向かって「喜び歌え。あなたの天幕の場所を広げ。」と言われました。彼らがどうやって喜び歌うことができるでしょうか。この時間神様の約束の御言葉と希望が私達の心の中に望み、喜び歌うことができるように祈ります。

?。子を産まない不妊の女よ。喜び歌え(1)

 第一に、イスラエルは子を産まない不妊の女のようでした。1節をご覧ください。「子を産まない不妊の女よ。」なぜイザヤは神の民を不妊の女にたとえたでしょうか。創世記1:28を見ると子供を産むことは神様の祝福です。不妊の女は神様の呪いによって実を結べないことのシンボルです。聖書の中には子供を産むことができないことで悲しんだ女性が何人か登場しています。一人はラケルです。彼女は夫であるヤコブに「私に子供をください。でなければ、私は死んでしまいます。」と言いました。するとヤコブはラケルに怒りを燃やして言いました。「私が神に代わることができようか。おまえの胎内に子を宿らせないのは神なのだ。」(創世記30:1ー2)。サムエルの母ハンナも子を産まない不妊の女でした。彼女は悲しみのあまり激しく泣きました。彼女の夫の愛も彼女には慰めになりませんでした。

 なぜイスラエルは子を産まない不妊の女のようになったのでしょうか。本来彼らは神様に祝福された民でした。彼らは信仰の先祖アブラハムの子孫であり、神様の約束の所有者でした。彼らは神様に選ばれた民でした。神様は彼らに律法を与え、荒野で訓練されました。そして神様は彼らを乳と蜜が流れている約束の地に導いてくださいました。神様は彼らが繁栄し、幸せになることを願われました。神様は彼らが聖なる国民、祭司の王国となることを願われました。しかし彼らは神様の愛と恵みを忘れて神様から離れました。さらに彼らは偶像礼拝をしました。それで神様はバビロンを用いられ、彼らを打たれました。バビロンの軍隊によってエルサレムは破壊されました。そしてイスラエル人はバビロンに連れて行かれそこで70年間奴隷生活をしました。彼らがエルサレムに帰って来た時、彼らには悲しみと苦しみだけ残っていました。彼らはまるで不妊の女のようでした。

 第二に、喜び歌え。この悲しみの民に与えられた神様の言葉は何ですか。もう一度1節をご覧ください。「子を産まない不妊の女よ。喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ。喜びの歌声をあげて叫べ。」何の人生の意味も見えず悲しく寂しく実のないイスラエル人がどうやって喜び歌うことができますか。人間的に見るとそれは不可能なことです。彼らには何の喜びもありません。しかし神様が彼らに希望と約束の御言葉を与えて下さるので彼らは喜び歌うことができます。その約束とは何ですか。

 第三に、神様は不妊の女に多くの子供を与えると約束されました。「夫に捨てられた女の子供は、夫のある女の子供よりも多いからだ。」神様はイスラエルの悲しみを取り除き、彼らを祝福してくださると約束されました。神様の約束は私達に希望を与えます。アブラハムが子供がいないことで悲しんでいた時、神様はアブラハムを外に連れ出して「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」「あなたの子孫はこのようになる。」と言われました。アブラハムは神様の約束を信じました。すると彼の暗かった心にはきらきら星が光るようになりました。多くの人々がマタイ6:33の神様の約束を信じそれを体験しました。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」また聖書は私達が自分の罪を悔い改めてイエス・キリストを信じるなら主はその罪を赦し、永遠のいのちを与えると約束しています。多くの人々が神様の約束の御言葉によって罪の奴隷から神様の子供に新しく生まれ変わっています。神様の約束は常に私達に希望とビジョンを与えます。

?。あなたの天幕の場所を広げ(2、3)

 神様は悲しみの民に驚くべき命令をされました。2、3節をご覧ください。「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」これはどんなに驚くべき命令でしょうか。もっと詳しくこの個所を探って見ましょう。

 第一に、あなたがたの心を広げなさい。神様はご自分の民が悲しみに陥っていることを願われません。神様は私達が自己中心になることを願われません。イエス様は心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神様を愛し、隣人を自分のように愛するように言われました。私達はイエス様を必要とする周りの人々に関心を持って彼らに心を広げなければなりません。イエス様は私達が隣人を自分のように愛するように言われました。これがクリスチャンのしるしです。クリスチャンになるといつも自分しか考えていなかった人が神様のことを考え、また、隣人のことを考えるようになります。私達が個人的な多くの問題を持っていても神様の命令に従わなければなりません。私達はお金を稼いだ後、卒業した後、結婚した後、進学した後に神様や隣人を愛すると思ってはいけません。私達は今自分がどこにいても「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、」という神様の命令に聞き従わなければなりません。自分の問題に縛られて狭くなっている心を悔い改めて隣人、キャンパスの学生達、世界の人々に心を広げましょう。

 第二に、神様のビジョンです。近視眼の人は遠くの物をはっきりと見ることができません。しかし神様は近視の方ではありません。神様は全世界に対するビジョンを持っておられます。不妊の女は子供を産めないから天幕の場所を広げる必要がありません。しかし神様は「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばす」ように言われます。これは彼女にもっと大きな天幕が必要なことを言ってくれます。イエス様は不信仰と悲しみの中にいる弟子達に言われました。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べつたえなさい。」(マルコ16:15)。これは神様のビジョンです。神様は私達が神様の観点から世界と隣人を見ることを願われます。1700年後半スコットランドのある靴直し人にイザヤ書54:2「あなたの天幕の場所を広げ、あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし」という言葉が与えられました。彼は自分の部屋の壁に中国の地図をかけておいて中国の人々のために祈り始めました。神様は彼を中国ではなくインドに送ってくださいました。彼の名前はウィリアム・ケーリです。彼は精神病にかかっている妻の問題を含めて多くの問題を持っていました。しかし彼は神様のビジョンを持ってイエス様の命令に従って家族と一緒にインドに行きました。神様は彼をインドに福音を伝えるのに大きく用いられキャンブリッジ大学の学生達に宣教師となるビジョンを植え付けました。そしてこの宣教師運動は世界に広がりました。

 これから36年前に神様は李サムエル宣教師とサラ・ベーリ宣教師に「聖書韓国と世界宣教」のビジョンを与えて下さいました。当時韓国は貧しく世界に宣教師が派遣されることは考えられない状況でした。しかし神様はビジョンを与え、そのために祈ったの時60年代には韓国の全国に、70年代には西ドイツ、アメリカのキャンパスに、80年代には南アメリカ、アフリカ、90年代にはCISを含めて東ヨーロッパ、アジヤ及び全世界に宣教師が派遣されうになりました。去年までで84ヶ国に1、279名の宣教師達が派遣され宣教活動をしています。神様は私達にもこの国の560キャンパスに福音を伝えるビジョンを与えてくださいました。そしてこの国が福音化されアジヤ及び世界宣教の中心地となるビジョンを与えて下さいました。神様のビジョンは私達の考えを越えるものです。イザヤ55:9には次のように記されています。「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」私達が神様のビジョンを抱き、この国と世界を見ることができるように祈ります。

 私達がどうやって天幕の場所を広げることができますか。もう一度2節をご覧ください。「あなたの住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にせよ。」誰でも自分の天幕の場所を広げるためには長い綱を持ち、地に鉄のくいを深く打たなければなりません。私達は神様の約束の御言葉を信じて綱を長くすることができます。アブラハムは神様の約束の御言葉を信じて信仰生活を始めました。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。」(創12:1、2)。アブラハムは神様のビジョンを掴みました。彼は神様の約束を信じて神様の言葉に従いました。彼は生まれ故郷を離れ、神様が示す地へ行きました。彼は綱を長くしました。それは彼が多くの国民の父となるために踏む一歩でした。私達はイエス様の世界宣教の命令を受け入れて祈る時に綱を長くすることができます。今日は北海道開拓の礼拝を捧げています。神様は宋イェジュン宣教師を北海道の開拓者として派遣してくださいます。北海道には有名なクリスチャンの作家三浦綾子さんが住んでいます。また愛する巻島兄弟が住んでいます。そこは東京とは違って霊的な雰囲気がいいと言われています。カナンの地に向かって行くアブラハムのような心だと思いますが、約束の御言葉とビジョンを信じて出て行く時、主が祝福してくださることを信じます。これから私達も祈りの綱を長くし北海道の開拓のために祈りましょう。

 私達は聖書勉強や祈りによって鉄のくいを強固にしなければなりません。私達は人間的な熱心によって神様のみわざを成し遂げることができません。私達が世界に対する神様のビジョンをちらっと見たとしても神様に頼り祈ることや神様の御言葉に聞き従うことを学ばなければ何もできません。鉄のくいを強固にするためには毎日祈りによって主と交わり、毎日聖書を学ぶことが必要です。自分の弱さを認めて祈りと聖書勉強に励まなければなりません。

 3節をご覧ください。「あなたは右と左にふえ広がり、あなたの子孫は、国々を所有し、荒れ果てた町々を人の住む所とするからだ。」この御言葉はアブラハムに約束された神様の御言葉を思い出させます。「わたしは確かにあなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように数多く増し加えよう。そしてあなたの子孫は、その敵の門を勝ち取るであろう。あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」(創22:17、18)。神様は彼の民を通して全世界の人々に福音が宣べ伝えられることを望んでおられます。

 神様は私達を通してこの国の560キャンパスに福音が宣べ伝えられることを望んでおられます。この国に空の星、海辺の砂のように数多くのクリスチャンが生まれることを望んでおられます。この国が祭司の王国になることを望んでおられます。

 私達はなぜ神様がイスラエルに希望を置いておられるかを知らなければなりません。それは失望している民の心に神の希望を植え付けるためです。神様はノンクリスチャンの心に神に対する信仰を植え付けることを望んでおられます。また、神様は彼らを罪から救うことを願っておられます。これは神様の希望であり、この希望は神様の世界万民の救いの計画に基づいています。

?。あなたの夫はあなたを造った者(4ー17)

 イスラエルは子を産まない不妊の女のようでした。神様はイスラエルを婚約者のように愛されました。しかしイスラエルは神様の愛を忘れて神様から離れました。神様はこのような彼らをほんのしばらくの間、見捨てられました。イスラエルはバビロンの捕虜になって恥とそしりを受けました。神様は愛する者を懲らしめられたのです。バビロンの奴隷から帰って来たイスラエルは売春婦のように惨めな状態でした。4、5節を見ると神様は彼らを慰められました。「恐れるな。あなたは恥を見ない。恥じるな。あなたははずかしめを受けないから。あなたは自分の若かったころの恥を忘れ、やもめ時代のそしりを、もう思い出さない。あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。」神様はどうやってそのように約束することができたのでしょうか。

 第一に、あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方です。神様の愛はどんなに驚くべきことでしょうか。5節をご覧ください。「あなたの贖い主は、イスラエルの聖なる方で、全地の神と呼ばれている。」神様はイスラエルが贖われ、回復されることを切に願われました。そのためにイエス・キリストをこの世に送ってくださり、イエス様は私達を贖うために十字架につけられ死なれました。私達の罪のために代価を払われたのです。神様は放蕩息子をありのままえ受け入れる父親のようでした。神様は病んでいるサマリヤの女に永遠のいのちへの水を与えて下さったイエス様のようにイスラエル人を贖ってくださいました。

 第二に、あなたの夫はあなたを造った者。イスラエルは売春婦のように夫である神様から離れました。また彼らは子を産めない不妊の女のようでした。このような女を再び妻として受け入れる夫はいないと思います。夫を捨てて売春婦のようになった淫らな女を誰が愛することができるでしょうか。しかし神様は人間と違います。イスラエル人は神様を捨てましたが神様は彼らを見捨てず相変わらず愛してくださいました。この孤独な不妊の女イスラエルに対して神様は言われました。「あなたの夫はあなたを造った者、その名は万軍の主。」

 第三に、「全地の神と呼ばれている。」イスラエルの聖なる神様は全地の神様です。神様はこの世を造られ、愛しておられます。神様はこの世を愛し、ひとり子イエス・キリストをこの世に送ってくださいました。それは御子を信じる者が一人も滅びることなく永遠のいのちを持つためです。神様はイスラエルだけの神様ではなくすべての人々の神様です。

 第四に、わたしの平和の契約は動かない。10節を読んでみましょう。「たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。」9節を見ると神様は洪水の後ノアと永遠の一方的な契約を結ばれました。それは恵みの契約です。イエス・キリストの血による罪人との契約は神様の恵みに基づいています。人は罪を犯したので神様が要求する救いの水準に自らの力によっては至ることができません。神様はこのような人々を救うためにイエス・キリストをこの世に与えて下さいました。イエス様は世の罪を取り除く神の小羊としてこの世に来られました。私達はただイエス様を信じるだけで神様と和解することができるようになりました。この福音によって私達の罪は赦され、永遠のいのちを得るようになりました。神様は私達に朽ちることも汚れることもない神の国に対する生ける望みを与えてくださいました。これはイエス・キリストの十字架の血によって結ばれた新しい契約です。

 11ー17節でイザヤは自分の民の大きな最後の望みについて話しています。11、12節を読んで見ましょう。「苦しめられ、もてあそばれて、慰められなかった女よ。見よ。わたしはあなたの石をアンチモニーでおおい、サファイヤであなたの基を定め、あなたの塔をルビーにし、あなたの門を紅玉にし、あなたの境をすべて宝石にする。」この美しい天の都はアブラハムが待ち望んでいたところです(ヘブル11:10、14)。使徒ヨハネが黙示21:18ー20に記した都です。そこには太陽も月も要りません。神様の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからです。この美しく平和な天の都は神様の子供達の受け継ぐ相続財産です。これは何とすばらしい望みでしょうか。

 私達は世界の人々が救われることを願われる神様の心を持たなければなりません。私達の天幕の場所を広げ、私達の住まいの幕を惜しみなく張り伸ばし、綱を長くし、鉄のくいを強固にすることができるように祈ります。