1997年使徒の働き 第5講

ステパノの殉教信仰
御言葉:使徒の働き6:8ー7:60
要 節:使徒の働き7:60

「そして、ひざまずいて、大声でこう叫んだ。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りについた。」

 私達が住んでいるこの世は偽りと淫乱と暴力など多くの罪悪に満ちています。このような世の中で確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます(?テモテ3:12)。サタンは私達を純粋な信仰生活から離れさせようとします。このような環境の中で安逸な姿勢をもって信仰生活をすると罪の勢力に負けてしまいます。ステパノのような殉教信仰がある時にこそ罪の勢力に打ち勝ち、勝利の人生を送ることができます。殉教信仰は復活信仰であり、福音信仰です。ステパノの殉教信仰を学び、福音に敵対する勢力が多いこの世で勝利の人生を送ることができるように祈ります。

?。恵みと力とに満ちたステパノ(6:8ー15)

 ステパノはどんな人ですか。彼は七人の執事の中の一人です。彼の名前が最初に記録されているのを見ると彼は執事達の中でも一番信仰と聖霊に満ちた人のようです。8節をご覧ください。ステパノは恵みと力とに満ち、人々の間で、すばらしい不思議なわざとしるしを行なっていました。7章を見ると彼は力ある御言葉のしもべでした。彼は一言で満ちた人でした。彼は信仰と聖霊、恵みと力に満ちた人でした。どのようにして彼はこのように満ちた人になったのでしょうか。それは彼がイエス・キリストにしっかりつながれていたからです。イエス様は恵みと力に満ちておられました。イエス様はこう言われました。「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:5)。

 9、10節をご覧ください。 ところが、いわゆるリベルテンの会堂に属する人々で、クレネ人、アレキサンドリヤ人、キリキヤやアジヤから来た人々などが立ち上がって、ステパノと議論しました。しかし、彼が知恵と御霊によって語っていたので、それに対抗することができませんでした。ステパノに対抗することができなかった彼らは、ある人々をそそのかし、「私たちは彼がモーセと神とをけがすことばを語るのを聞いた。」と言わせました。また、民衆と長老たちと律法学者たちを扇動し、彼を襲って捕え、議会にひっぱって行きました。そして、偽りの証人たちを立てて、こう言わせました。「この人は、この聖なる所と律法とに逆らうことばを語るのをやめません。『あのナザレ人イエスはこの聖なる所をこわし、モーセが私たちに伝えた慣例を変えてしまう。』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」彼らの訴えは神殿と律法の問題でした。ユダヤ人には大切なものが二つありました。一つは神殿であり、犠牲はここでだけささげられ、神が真に礼拝されるのはここだけだと思いました。第二は、永遠に変わることのない律法でした。ところが、年月が経つにつれて神殿と律法の真の意味が失われ、段々形式的になり、腐敗して行きました。イエス様の時代にはそれが極度に達して古い皮袋のようになっていました。このような中でステパノは、神殿は崩れ去るものであり、律法もキリスト教が全世界に宣べ伝えられるため、福音に向かう一段階にすぎないことをありのまま伝えました。これはユダヤ人にとって革命的なことでした。古い皮袋になっていた彼らはこの新しい葡萄酒のような福音を受け入れることができませんでした。そこで衝突は避けられないことでした。福音が入るところにはどこでもこのような衝突が起こります。

 ステパノは議会の前で訴えられました。議会の雰囲気は偽りの訴えと脅かしで緊迫した雰囲気だったでしょう。ところが、そのような雰囲気の中でのステパノの姿はどうでしたか。15節をご覧ください。「議会で席に着いていた人々はみな、ステパノに目を注いだ。すると彼の顔は御使いの顔のように見えた。」彼の内面には恐れと不安の代わりに恵みと平安と喜びが溢れていました。大抵環境によって信仰が左右されます。恵みがあるところでは信仰の中心をよく守りますが、不信の雰囲気の中や迫害があるところでは気が弱くなり、妥協する場合があります。しかし、ステパノは聖霊に満たされて環境を圧倒しました。

?。ステパノの弁論メッセージ(7:1ー53)

 大祭司はステパノに訴えの内容が「そのとおりか。」と尋ねました。その時、ステパノは自己弁護をしませんでした。むしろ彼はこの機会を利用して福音を宣べ伝えました。彼のメッセージはユダヤ人が訴えた神殿と律法に対する弁論メッセージでした。

 第一に、律法についての弁論メッセージ(2ー43)

 2節を見るとステパノは「兄弟たち、父たちよ。聞いてください。」とやさしくメッセージを始めています。それから彼らがよく知っているイスラエルの歴史を紹介しています。ステパノはアブラハムから始めました。アブラハムはどんな人でしたか。彼は「出て行きなさい」という神様の命令に従った人でした。アブラハムが、カランに住む以前まだメソポタミヤにいたとき、栄光の神が彼に現われて、『あなたの土地とあなたの親族を離れ、わたしがあなたに示す地に行け。』と言われました。そこで、アブラハムは神様の御言葉に従って今イスラエル人の住んでいるカナンの地に来ました。ヘブル人への手紙にあるようにアブラハムは、どこに行くのかを知らないで出て行きました(ヘブル11:8)。アブラハムは冒険心を持った人でした。神の人とは、その結果がどうなるかわからない時でさえも、神様の命令に聞き従う人です。また、アブラハムは信仰の人でした。彼は自分はどこに行くのかを知らなかったけれども神様の導きのもとに従うことが最善だと信じました。彼は子供を持つことが不可能な状態だった時にも、自分の子孫が、いつか、神様の約束された地を継ぐという約束を信じました。アブラハムは、神様の約束が間違いないものだと信じた人でした。そして、アブラハムは希望の人でした。5節をご覧ください。「ここでは、足の踏み場となるだけのものさえも、相続財産として彼にお与えになりませんでした。それでも、子どももなかった彼に対して、この地を彼とその子孫に財産として与えることを約束されたのです。」アブラハムは死ぬその日まで約束の成就を見なかったけれども、それが果たされるのを決して疑いませんでした。アブラハムは従順の人、信仰の人、希望の人でした。それではなぜステパノはこのようにアブラハムの生涯を話したのでしょうか。ユダヤ人は律法の世界に留まっていました。神様はイエス・キリストをこの世に送ってくださり、イエス・キリストの十字架の贖いによって恵みを世界、福音の世界を開かれました。そして彼らをその世界に導き入れようとされました。しかし、彼らはそれを拒んでいました。ステパノはユダヤ人達にまずアブラハムの冒険の生涯を例話として、「出て行きなさい」という命令にこたえる準備をさせました。さらに、アブラハムの求めるものと、過去に執着して決して改革を望まないユダヤ人の願いを対照させました。

 ヤコブに十二人の族長が生まれました。ところが、兄達はヨセフをねたんで、彼をエジプトに売りとばしました。しかし、神様は彼とともにおられ、あらゆる患難から彼を救い出し、エジプト王パロの前で、恵みと知恵をお与えになったので、パロは彼をエジプトと王の家全体を治める総理大臣に任じました。そして、エジプトとカナンとの全地にききんが起こり、大きな災難が襲って来た時、彼をいのちの救いのみわざに尊く用いられました。兄達は罪を犯しましたが、神様は失敗することなくそれを救いのみわざに用いられました。ヨセフはイエス様の陰です。彼は兄達のねたみによって奴隷として売られました。しかし、神様は彼とともにおられ彼を大いに祝福し、いのちの救いのみわざに用いられました。このようにユダヤの宗教指導者達は何の罪もないイエス様をねたんで十字架につけて殺しました。しかし、神様はイエス様を死者の中からよみがえらせ栄光を与え、いのちの救いのみわざに尊く用いられました。

 次の場面には、モーセが登場します。モーセはどんな運命を背負って生まれましたか。18?20aをご覧ください。「ヨセフのことを知らない別の王がエジプトの王位につくときまで続きました。この王は、私たちの同胞に対して策略を巡らし、私たちの先祖を苦しめて、幼子を捨てさせ、生かしておけないようにしました。このようなときに、モーセが生まれたのです。」ところがモーセはどのようにしてパロの宮殿で育てられるようになりましたか。20bー22をご覧ください。「彼は神の目にかなった、かわいらしい子で、三か月の間、父の家で育てられましたが、ついに捨てられたのをパロの娘が拾い上げ、自分の子として育てたのです。モーセはエジプト人のあらゆる学問を教え込まれ、ことばにもわざにも力がありました。」モーセはパロの娘の子として40年間指導者としての教育を受けました。彼は当時すぐれたエジプトのあらゆる学問を教えこまれました。彼は有名なエジプト大学で政治博士の学位を取ったでしょう。また、指導者として必要な雄弁術を学び、ことばにも力がありました。また空手で体をしっかりと鍛えていたので一回相手を殴ることで殺すことができる力がありました。しかし、それだけでは神様に用いられる人にはなりませんでした。彼が神様に用いられる器になるためには荒野訓練が必要でした。

  四十歳になったころ、モーセはエジプト人の奴隷として苦しんでいるイスラエル人を、顧みる心を起こしました。そして、同胞のひとりが虐待されているのを見て、その人をかばい、エジプト人を空手で打ち倒して殺しました。彼は、自分の手によって神様が兄弟たちに救いを与えようとしておられることを、みなが理解してくれるものと思っていました。しかし、彼らは理解しませんでした。翌日彼は、兄弟たちが争っているところに現われ、和解させようとして、『あなたがたは、兄弟なのだ。それなのにどうしてお互いに傷つけ合っているのか。』と言いました。すると、隣人を傷つけていた者が、モーセを押しのけてこう言いました。『だれがあなたを、私たちの支配者や裁判官にしたのか。きのうエジプト人を殺したように、私も殺す気か。』このことばを聞いたモーセは、ショックを受けて荒野に逃げてそこで40年間旅人の生活をしました。彼が神様に用いられる霊的な指導者になるためには自我が徹底的に砕かれ、神様の御旨に従う荒野訓練が必要でした。モーセは荒野で謙遜訓練、忍耐訓練、牧者として羊達に仕える訓練を受けました。

  四十年たったとき、御使いが、モーセに、シナイ山の荒野で柴の燃える炎の中に現われました。その光景を見たモーセは驚いて、それをよく見ようとして近寄ったとき、主の御声が聞こえました。「わたしはあなたの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である。」そこで、モーセは震え上がり、見定める勇気もなくなりました。すると、主は彼にこう言われたのです。『あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたの立っている所は聖なる地である。わたしは、確かにエジプトにいるわたしの民の苦難を見、そのうめき声を聞いたので、彼らを救い出すために下って来た。さあ、行きなさい。わたしはあなたをエジプトに遣わそう。』時になって神様は柴の中からモーセを呼ばれ、イスラエル人の指導者また解放者として遣わされました。モーセは自分の力でイスラエル人を救うことができると思った時には失敗しました。自分の力と知恵に頼る高慢な人を神様は用いることができませんでした。しかし、モーセが荒野訓練を通して自我が徹底的に砕かれ、自分の力によっては何もできないことがわかった時、すなわち、謙遜になった時に神様は彼を指導者として立てて用いることができました。『だれがあなたを支配者や裁判官にしたのか。』と言って人々が拒んだこのモーセを、神様は柴の中で彼に現われた御使いの手によって、イスラエル人の支配者また解放者としてお遣わしになったのです。

 モーセは、神様の「出て行きなさい」という命令に、誰よりも立派に従った人でした。モーセは、神の民の指導者になりなさいという命令に従って神への冒険をして、同胞を導くために、王国を捨てた人でした。そこでステパノは、もう一度同じことを述べます。偉大な人間は、ユダヤ人のように過去にこだわらず、「出て行きなさい」という神様の命令に従う準備のできている人であり、自分のものをいつでも捨てる備えのできている人です。

 このモーセが、イスラエル人を導き出し、エジプトの地で、紅海で、また四十年間荒野で、不思議なわざとしるしを行ないました。また彼は、イスラエルの人々に、メシヤが来られることを預言しました(37)。また、モーセは、先祖たちとともに、荒野の集会において、生けるみことばを授かり、イスラエル人に与えたのです。このように神様はモーセを偉大な指導者として立ててイスラエル人の解放者として用いてくださいました。ところが、イスラエル人は彼に従うことを好まず、かえって彼を退け、神様に逆らって偶像崇拝の罪を犯しました。ユダヤ人は、絶えず、反逆と不従順を繰り返して来ました。モーセの時代には、金の子牛を造って反逆しました。アモスの時代には、モロクと星の神々に従いました(アモス5:27)。それゆえ、神様は、彼らをバビロンのかなたへ移されました(43)。

 日本人は努力を信じているという人がいます。努力は律法と似ています。ユダヤ人が律法にこだわっているように日本人は努力にこだわっています。日本人の好きな言葉に「頑張れ。頑頑張ります。」と言うことばがあります。この頑張り精神によって成績が良くなると高慢になりがちです。また、反対に成績が悪ければ劣等感に陥りやすいです。このような頑張り精神によって日本は経済大国になりました。ところが問題はこれが邪魔になって神様の福音の世界、恵みの世界になかなか入らないことです。この世界に入るためにはアブラハムやモーセのように冒険しなければなりません。「出て行きなさい。」という神様の御言葉に従わなければなりません。私達がアブラハムやモーセのように神様の御言葉に従い、ますます福音の深い世界を知ることができるように祈ります。

 以上でステパノがイスラエル人の先祖達の罪を話した理由は何でしょうか。モーセはイスラエル人に尊敬されている人でした。ところが、彼らの先祖達は霊的な無知と高慢によってモーセを退けました。しかし、神様は彼を立てられ、救いのみわざに尊く用いてくださいました。同じくユダヤ人は神様が遣わされたイエス様を蔑視し、敵対しました。イエス様はモーセが預言したメシヤ、救い主です。ところが、イスラエル人はメシヤに対して先祖達と同じく罪を犯しています。ですからイエス様がモーセの律法を変えてしまうのではなく彼らが神様が遣わされたイエス様を拒絶し、神様の御心に逆らっているのです。

 第二に、神殿についての弁論メッセージです(44ー50)。

 44ー50節でステパノはメッセージの主題を変えて神殿の歴史を話しています。神殿はイスラエル人が荒野生活をしていた時に神様がモーセに言われた通りに造ったあかしの幕屋でした。このあかしの幕屋は天にあるあかしの幕屋の模型でした。実物は変わりませんが模型はいつでも変わります。このあかしの幕屋はカナンの地を征服する時に、ヨシュアが運び入れ、ついにダビデの時代となりました。そして、ソロモンは神殿を建てました。しかし、この神殿は、人が手で造った家なので根本的に限界があります。神様はそこにはお住みになりません。神様は天地を創造された方で、天は神様の王座、地は神様の足の足台です。神殿の意味はイエス様が来られることによって完全に変わりました。イエス様は天の御国の神殿の実物となられる方です。このイエス様は私達の罪のために死なれ、よみがえられ神の国の幕屋となられました。ですから神殿は目に見える建物ではなくイエス様ご自身を指すのです。ユダヤ人にとって神殿はあらゆる場所の中で最も神聖な所でした。神様は手で造られた神殿に決して住まわれないというステパノの主張は、当時のユダヤ人達に衝撃的なことでした。ユダヤ人はあやまって、神様を限定してしまいました。それで最大の祝福となるはずだった神殿は、実のところ、最大の呪いでした。神様を礼拝する代わりに、神殿を礼拝するようになったからです。ユダヤ人は、全宇宙におられる全人類の神様を、エルサレムだけに住んでおられるユダヤ人の神様にしてしまいました。

 結論的にステパノは民達の罪を鋭く咎めました。51ー53節をご覧ください。「かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人達。あなたがたは、先祖達と同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。あなたがたの先祖が迫害しなかった預言者がだれかあったでしょうか。彼らは、正しい方が来られる事を前もって宣べた人達を殺したが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。」彼らは高慢で、悔い改めませんでした。聖霊に逆らっていました。いつの時代にもユダヤ人は預言者達を迫害し、神が立てられた指導者達を捨てて来ました。同じく彼らは神の御子であるイエス様を十字架につけて殺しました。そのような罪を犯させたのは、ユダヤ人の高慢と不従順です。ステパノの終わりの言葉には、怒りと同時に悲しみがこめられています。そこには、同胞が最悪の罪を犯すのを見ている人の怒りがあります。しかしまた、同胞が神の下さった約束を拒むのを見ている人の悲しみもあります。

?。ステパノの殉教(7:54ー60)

 ステパノに咎められた民達の反応はどうでしたか。54節をご覧ください。人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしました。メッセージを聞いて心が刺された時、悔い改めると罪の赦しの恵みを受けます。しかし悔い改めないと心がもっと頑なになります。その時、ステパノは何を見ましたか。55節をご覧ください。ステパノは人々の顔が激しい怒りにゆがんでいるのを見ませんでした。彼は聖霊に満たされて天を見つめ、神の栄光と、復活され神の右に立っておられるイエス様を見ました。そして、こう言いました。「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(56)。ステパノはよみがえられたイエス様を見て感激しました。しかし、ユダヤ人達はステパノのことばを聞いて神をけがしていると思いました。それで大声で叫びながら、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到しました。そして彼を町の外に追い出して、石で打ち殺しました。ステパノを殺したのは、盲目的で、自制心を失った、爆発的な怒りでした。証人たちは、自分達の着物をサウロという青年の足元に置きました。この人は後に有名な使徒パウロになった人です。こうして彼らがステパノに石を投げ付けている時、ステパノは両手を広げて待っておられる主イエス・キリストを見ました。ステパノは主を呼んで、こう言いました。「主イエスよ。私の霊をお受けください。」ステパノは自分の霊を主に委ねました。そして、ひざまずいて、大声でこう叫びました。「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、眠りにつきました。この祈りは「父よ。彼らをお赦しください。」と祈られた十字架のイエス様の祈りと同じです。彼はどうやって自分を石で打つ人々のためにこのように祈ることができたのでしょうか。それは彼がイエス様の十字架の愛を知っていたからです。イエス様の十字架の愛は敵でさえ赦す愛です。彼はイエス様の十字架の愛に感動された人でした。彼はこのイエス様の十字架の道に従いました。

 ステパノの死は聖なる死であり、美しい死でした。ステパノの殉教は決して無駄ではありませでした。彼の殉教は世界宣教の火種となりました。彼の殉教によってエルサレム教会に大きな迫害が起こり、クリスチャン達は散って行きました。そして彼らはステパノの殉教信仰によって福音を宣べ伝えたのでユダヤとサマリヤに広がるようになりました。また、アンテオケ教会が開拓されるきっかけになりました(11:19)。このような殉教の血は教会の迫害者であったサウロにも大きな影響を及ぼしました。サウロはステパノを殺す時先頭に立って指揮した人でした。彼はステパノの死を当たり前だと思いました。しかし、神様はステパノの祈りを聞かれ、サウロを変えてくださいました。アウグスチヌスは「教会がパウロを与えられたのは、ステパノの祈りによる」と言いました。サウロは、一生懸命に忘れようとしても、ステパノの死の様子を忘れることができなかったでしょう。「主よ。この罪を彼に負わせないでください。」と祈ったステパノの祈りが耳から離れなかったでしょう。彼は後に復活のイエス様に出会い、教会の迫害者から主と福音のために働く偉大な主のしもべになりました。

 結論的に死は人生の決算です。人は一度死ぬことは定まっており、生まれる時があれば死ぬ時があるのです。ヤコブ4:14節は次のように言っています。「あなたがたには、あすのことはわからないのです。あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現われて、それから消えてしまう霧に過ぎません。」ですから私達はどれほど長生きするかが大切な問題ではなくどなん人生を送るか、どのように自分の人生を決算するかが大切な問題です。二ーチェは「神は死んだ」と言って多くの人々をつまずかせました。彼は死ぬ時には狂って叫びながら死んだそうです。私達が栄光ある生涯を飾りたいと思うなら日常の生活をそのように送らなければなりません。殉教は殉教者的な生活の決算です。ですから普段殉教者的な生活をすることが大切です。殉教者的な生活とはどんな生活でしょうか。イエス様は言われました。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」(マルコ8:34、35)。私達がどのようにしてこの世で勝利の人生を送ることができますか。それはステパノのように殉教信仰、復活信仰がある時に勝利の人生を送ることが出来ます。人はいのちかけてやる時にできないことがありません。殉教信仰は復活信仰であり、福音信仰です。私達がこの信仰によって罪の勢力に打ち勝ち、勝利の人生を送ることができるように祈ります。