2010年新年修養会 第2講

イスラエルの望みのために

御言葉:使徒の働き28:1-31
要 節:使徒の働き28:20b「私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」

2008年7月25日、アメリカのカーネギーメロン大学のパウシュ(Randy Pausch)教授がすい臓癌でなくなりました。死を目前にした2007年秋、ペンシルベニア州のカーネギーメロン大学の講堂で行われた彼の「最後の講義」は全世界の人々を感動させました。彼が妻と三人の子供たち、そして周りの友人たちに残した最後の講義は死に対する内容ではありませんでした。むしろ、「生きる望みと夢に対する内容」でした。ともすると、悲観的に自暴自棄になりやすい状況の中、パウシュ教授は「生きること」への強いメッセージを語っています。夢を実現することの素晴らしさ、その夢を追い求めることの大事さを説いています。死を目前にしても、絶望的な言葉は一言もなく、夢を掴んだ人だからこその主張は説得力があります。彼はこのように残しています。「夢見る人は幸せだ。人間は夢を見るから成長する。実際に、子供時代を経て、今の自分になったのは、子供時代の夢があったからだ。希望と夢を持ちなさい。新しい夢は新しい世の中にあなたの人生を案内するでしょう。」
今日の本文は、2000年ほど前の使徒パウロが、私たちに残した最後の講義ではないかと考えます。使徒パウロは鎖につながれた状態で私たちにどんなメッセージを残していますか。彼は、監獄に閉じこめられたことに対する不満より、イスラエルの望みに対して語っています。「イスラエルの望みのために」、彼は鎖に拘束された身であっても、絶望せず、イスラエルの望みに対して語っています。夢と望みに向かった彼の情熱とビジョンのメッセージが私たちの心をわくわくさせます。今日はパウロの夢と望みについて一緒に学び立いと思います。

1.ローマに到着したパウロ(1-15)
28章1-10節をご覧ください。使徒19章によると、使徒パウロは、エペソにあるツラノの講堂で二年間、毎日主の御言葉を教え、その結果、主の言葉は驚くほど広まり、ますます力強くなりました。その時、パウロは、神様がくださった夢の中で、ローマも見なければならないというビジョンを持ちました。しかし、夢と現実とのギャップは大きかったのです。実際に、その後、パウロはエルサレム教会を助けるために、献金を集めてエルサレムに行きますが、宮で捕まえられ、暴行されました。さらに、ユダヤ人たちは何の罪もない彼を殺すために暗殺を企てますが、パウロはローマ市民権を利用して、ローマ皇帝に上訴し、囚人の身としてローマに行こうとしました。ところが、使徒27章でローマ行きの船が難破されることによって、またとも死ぬ直前まで至りました。
しかし、神様は御使いを遣わし、必ず彼の夢が実現されることを約束されました。私たちも、パウロのように神様の前で夢を持ちますが、実際の現実は夢と程遠く感じられる時がしばしばあります。しかし、その中でも神様は私たちの夢とビジョンを覚えてくださり、導いてくださいます。
1-10節にあるように、パウロと同船した275人はパウロの預言通りに、無事にマルタと呼ばれる島に到着しました。さらに、まむしに噛まれても死なず、島の首長の父親と多くの病人たちを治すことによって、使徒パウロが神の人であることが明らかになりました。
11節から13節には、マルタ島で三か月を過ごしたパウロと一行は、アレキサンドリヤの船に乗り、シラクサに寄港して、三日間とどまり、そこからレギオンに移動し、ローマの南の港であるポテオリに入港したことが記されています。
14節をご覧ください。「ここで、私たちは兄弟たちに会い、勧められるままに彼らのところに七日間滞在した。こうして、私たちはローマに到着した」。
パウロは、いよいよ、長い船旅を終えて、ローマの南の港であるポテオリに着きました。’小さな池’という意味のポテオリは、ネアポリスの港であり、アレキサンドリヤから輸送して来た穀物はここから陸路で内陸に運ばれました。パウロは長い海上旅行を終えて、ローマまではわずか220Kmほどの距離まで来ました。そこには、すでに信仰の兄弟たちがいました。彼らはパウロ一行をもてなしました。
その後、パウロ一行は、陸路で移動して、ローマから65Km 離れたアピオ・ポロに移動しました。アピオ・ポロは、B.C.312年ローマの執政官アッピウスが建設したアピオ大路にあり、ローマと直接つながっており、ローマの将軍たちが戦争で勝利して凱旋の入城をする時、群衆たちが熱熱に歓迎しながら迎えた道でした。そこに、ローマの信仰の兄弟たちがパウロを迎えに来たのです。また、ローマから50Km程度離れていたトレス・タベルネにも、兄弟たちが迎えにきました。パウロは囚人の身でありながらも、その道を歩くことで、事実上福音でローマを征腹するための光栄の道を歩むことになったのです。パウロは彼らに会って、神に感謝し、勇気づけられました。先ほど述べたように、パウロ自身、ローマを見ようとしたし(19:21)、また神様もパウロがローマで福音を伝えなければならないという使命を与えてくださいましたが(23:11;27:24)、ローマに到着して、信仰の友たちに会った時の喜びと感謝は言葉では言い表すことが出来ないほど嬉しかったでしょう。ここで「出迎えに来てくれた」のラテン語は、「アパンテシン」であり、ある都市の代表団が王や将軍を迎える時、使う単語です。その意味を考えると、ローマのクリスチャンたちが、パウロを神様の偉大な使徒としてどれぐらい熱く歓迎したかがよく現れています。人々は励ましを通して力を得て、新しいモチベーションを受けます。使徒パウロも私たちのような弱い人間だったので、時には恐れたり、時には気落ちしたりしたでしょう。しかし、不慣れな地で彼を迎えてくれる信仰の友たちを見た時、大きく励まされたはずです。私たちも、辛いことや苦しみを味わう時、信仰の友人が祈ってくれたり、慰めてくれたりすると、どれほど励まされたか、何度も体験したはずです。2010年新年には、私たちも互いに信仰の言葉で慰め合い、祈り合う1年となるように祈ります。

2.使徒パウロの望みと熱情(16-22)
16節をご覧ください。パウロは、死を覚悟してまで見たかったローマにいよいよ入り、番兵付きで自分だけの家に住むことが許されました。
パウロは、3日後に、ユダヤ人のリーダーたちを自分の家に呼び集めて対話をしました。夢見ていた目的地に到着したパウロは、少し休むことも出来たはずでしたが、早速伝道を始めました。ある脳神経学の専門家は、「目標を持つ人生において重要なことは直ちに実行に移すことで目標を実現させることだ」と語っています。たとえば、子供たちを創造的に育てるための方法として、幼児期にクラシック音楽を聞かせることも良いが、それよりもっと良いことは子供に楽器を練習させることです。
使徒パウロは自分の夢を実現させるために、閉じこめられている環境をせいにすることなく、置かれた環境を最大限活用したのです。パウロは、まず、同族ユダヤ人の告訴によってローマに来るようになった経緯を説明しました。しかし、彼がローマに来るようになった本当の理由は「イスラエルの望みのため」でした。
20節をご一緒に読んでみましょう。「このようなわけで、私は、あなたがたに会ってお話ししようと思い、お招きしました。私はイスラエルの望みのためにこの鎖につながれているのです。」つまり、使徒パウロが、囚人の身となり、ローマに来るようになったのは、「イスラエルの望みのため」だったのです。
では、ここで「イスラエルの望み」とは何でしょうか。それは、「死者の復活に対する望み」を意味します。すなわち、人々を死の世界から命の世界へ導くことの出来る唯一の望み、イエスキリストなのです。この望みは、イエス様が十字架で死なれ、三日目によみがえられることによって完成されたと、パウロは言いました。しかし、政治的で現世的なメシヤを待ち望んでいた多くのユダヤ人たちはこれを受け入れなかったのです。その結果、パウロは鎖に縛られるようになりました。しかし、彼はユダヤ人たちを恨んだり、決して自分の状況を嘆いたりしませんでした。
パウロが、イエスキリストを「イスラエルの望み」と呼んだのは、神様が「イスラエルを通して、メシヤを与える」と約束されたからです。神様は、アブラハムとダビデと預言者たちを通してメシヤを送ると何度も約束されました。イスラエルの人々は、昼も夜もその約束が実現されることを望みました。メシヤに対する望みは、彼らが難しい環境と状況に陥れば陥るほど、より燃え上がりました。この望みは、彼らがバビロンで捕虜生活をする時、絶頂に至りました。彼らは、この望みのために絶望的な状況の中でも絶望しませんでした。イスラエルは、数多くの侵略を受けましたが、この望みのために、慰めと力を得て、いかなる逆境と試練も耐え忍ぶことが出来ました。使徒パウロもその望みがあったからこそ、またその望みが自分の目の前で現れたことを体験することによって、その後の人生は180度がらりと変わりました。日本に来ている宣教師たちをはじめ、全世界に散らされている宣教師たち、牧者たち、兄弟姉妹たちも、この望みのために教会に通っているし、この望みのために、現実がどんなに辛くても耐え忍んでいるのです。
では、何故、よみがえられたイエスキリストの望みが、それほど重要なのでしょうか。私たちの人生は、結局「死」という限界のために絶望するしかないからです。冒頭で世界の人々を感動させたパウシュ教授のように、いかに大きな夢を持っていても、死の前ではすべての希望は泡となってしまいます。
そこで、私たちの望みは、死という枠組みの中で持つという制限的で一時的なものです。こうした望みは、決して真の望みとはなれません。望みとは、不変であり、また永遠に持続しないといけないからです。しかし、イエスキリストによって、決して「死」で終わらない真の望みが私たちに与えられたのです。イエス様は私たちの永遠なる希望となります。イエスキリストがよみがえられることによって、私たちもイエス様と一緒に復活される望みが与えられました。私たちの生活の中で、さまざまな形で私たちを挫折させる死の力に打ち勝つ望みが与えられたのです。だから、使徒ヨハネは、このイエスキリストこそ、私たちの「生ける望み」だと言いました。この望みによって、私たちは、朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようになったのです(?べテロ1:3、4)。
こうした望みがある人は、絶望することも、諦めることもありません。使徒パウロのように囚人の身となっても、船が難破しても、何度も暴行され、殺される危機に処せられても絶望しません。むしろ、「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走ります」(ピリピ3:14)。年老いている使徒パウロをここまで走らせたのは、この望みがあったからです。
Joe Dispenza博士は、自然治癒に関する研究を通じて奇跡的な治癒を経験した人々に会い、人間の心と肉体を治める鍵が脳にあるという事実を提示しました。彼自身、若いとき、サイクル競技途中、車に轢かれて、脊椎が6箇所も折れる事故を経験した後、自然治癒力によって手術なしにたった12週間で治るようになりました。彼は、私たちが必死に願うようになれば、不可能な中でも私たちの体が癒されることを紹介しています。
神様は私たちに動物と違った力を与えてくださいました。真の生ける望みであるイエスキリストによって、私たちはどんな状況に置かれても耐え忍ぶことができるし、神様は、イエスキリストの中で夢見た私たちのビジョンを必ず成し遂げてくださいます。問題は、私たちにそれを実現しようとする強い意欲が「有るか無いか」だと思います。

私は 2010年、詩編119:14節「私は、あなたのさとしの道を、どんな宝よりも、楽しんでいます」を新年方向としてつかみました。私は、今まで神様の命令を守ることはとても高い次元だから、難しいとよく話してきました。しかし、去年聖書を読みながら、「主の命令を守ることを楽しみなさい」という言葉に目が開かれました。難しいと思い、それをいつも口にすると、私たちの考えは自然にそのようになってしまうのではないかと思います。実際に、私は1999年東京大学に研究生として入り、まだ正式な学生でもありませんでしたが、矢内原というかつて東京大学の総長であり、毎週信仰の土曜学校を開いたクリスチャンのように働きたいと祈りました。すると、多くの忍耐の時間はありましたが、足りない私を神様は祈りの通りに導いてくださいました。
先に触れたFox博士も、「心配する時、私たちは私たちの意欲を抑圧する。また、心配は、自らを、創造力を、思う能力を、力を、融通性を、自分に対する信頼を、そして健康を抑圧する。私たちは楽しさを邪魔するこのような要因たちを殺して、私たち自分自身を幸せにさせることができる」と言いました。神様は、私たちにこうした能力を与えてくださったのです。イエスキリストが死からよみがえられることによって、こうした罪の勢力、私たちを無力にさせる勢力、私たちを絶望に強いるサタンの勢力を打ち破りました。だから、私たちは、私たちの心の中で、使徒パウロのように「イスラエルの望み」を持つべきです。もしも、職場の鎖がつながっていても、就職や現実生活の鎖が私たちを縛っていても、「この望みのために」、私たちは、今年を元気に、希望を持って走り始めることができると信じます。

3. 望みの中で福音を伝える使徒パウロ(23-31)
23節をご覧ください。「そこで、彼らは日を定めて、さらに大ぜいでパウロの宿にやって来た。彼は朝から晩まで語り続けた。神の国のことをあかしし、また、モーセの律法と預言者たちの書によって、イエスのことについて彼らを説得しようとした」。
パウロの説明を聞いた、ユダヤ人たちは、再びパウロの話を聞こうとやってきました。パウロは、その機会を活用して、旧約の御言葉を用いて彼らを教え、説得しようとしました。
24-28節をご覧ください。すると、パウロの話を信じる人も、信じない人も現れました。一生懸命聖書を教えても、受け入れない人々がいました。パウロから離れる彼らに、パウロはイザヤ書を引用して、彼らの心の目と耳が、見えず、遠くなっていることを教えました。
28節をご覧ください。「ですから、承知しておいてください。神のこの救いは、異邦人に送られました。彼らは、耳を傾けるでしょう。」
パウロは、この事件を通して、肩を落とすことなく、むしろ神様の導きを悟りました。これをきっかけにして、ユダヤ人だけではなく、ローマにいるすべての人々に福音を伝える方向転換をしたのです。
30,31節をご一緒に読んでみましょう。
「こうしてパウロは満二年の間、自費で借りた家に住み、たずねて来る人たちをみな迎えて、大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた」。
パウロは、満2年の間、自費で借りた家に住み、訪ねてくる人たちをみな迎え入れて、大胆に神の国とイエスキリストをのべ伝えました。

パウロは鎖につながれている最悪の外的条件の中でも、気を落とすことなく、与えられた条件のなかで自分の出来る最善を尽くしたのです。「イスラエルの望みのためにローマを福音で征服する」という燃え上がったパウロのビジョンに比べ、彼の行動は何かちょっとみすぼらしい感じがしなくもないです。しかし、神様は彼にベストの環境を備えてくださいました。今までは、パウロが伝道すると、ユダヤ人たちが寄せてきて、彼を殺そうとしました。しかし、ローマの兵士たちが守ってくれるので、パウロの伝道に不満を持っている人たちが彼を殺そうとしても、ローマ皇帝の保護下にあるパウロに対して、誰も手を出すことは出来ませんでした。とりわけ、パウロを見張っていた兵士たちは、自分が願わなくても、パウロの話しを聞かざるを得なく、ついにはキリストを受け入れるようになりました。当時4時間ごとに交代したとされますので、パウロが兄弟姉妹たちに、イエス様の十字架と復活について語ると、「またかや」と思いながらも、4時間も繰り返して聞く過程で、皮肉にもイエス様を信じるようになったのです。さらに、パウロは、この「借りた家」で、2年間毎日聖書を教えながらも、すでに開拓した多くの教会を励ます手紙を書いて送り、諸教会を堅くしました。その過程で生まれた手紙が、エペソ、ピリピ、コロサイ、ピレモンへの手紙などの獄中書信です。いつものより、福音の御わざがより大きく、より力強く、より活発に前進したのが分かります。鎖につながれていたパウロですが、神の御言葉は、決してつながれていませんでした。神様の御わざは、外的条件や環境より、忠実な一人の具体的で小さな行動によって成されるからです。
日本にきた宣教たちもパウロのように「イスラエルの望み」をこの国の人々に紹介するために来日しましたが、日本宣教の現実を考えると、力をなくす時がしばしばあります。何年間一生懸命に時間と物質、心を尽くして伝えても受け入れる人は少ないのです。さらに、この世で生き残るための現実も、決してやさしくありません。2007年リーマンショック以降、一層厳しくなった職場生活、就職環境、その結果、精神的・肉体的健康も著しくない場合もあります。置かれている状況は、さまざまな鎖につながれており、身動きが取れないような状況の中にいるかもしれません。
しかし、私たちの大先輩使徒パウロのように、現実に屈しないで、自分の出来ることを探し始めて見ましょう。ビジョンは、「イスラエルの望みのために福音でローマを征服する」のように巨大ですが、具体的行動は「借りた家」つまり、自分の処せられている場で自分の出来る小さいことから行動に移してみましょう。「成功の人生を生きた人々の秘訣」という本には、「ビジョンは大きく持つが、行動は小さいことから。小さいことを無視するな。その小さいことの中にあなたの未来と運命がかかっている」と書かれています。
今年1年間、イエスキリストの望みを持って、具体的で小さな行動に移す一年となるように祈ります。そのとき、私たちの個人的な目標が成し遂げられるだけではなく、日本UBFのビジョンのように、2041年には日本の47都道県に熱い信仰の若者たちが立てられ、日本が世界の人々に愛され、尊敬される国となると信じます。