2018年コリント人への手紙第一第2講
宣教のことばの愚かさを通して、
信じる者を救おうと定められた神様
御言葉:/ Ⅰコリント1:18~2:5
要 節:/ Ⅰコリント1:21
1. 十字架のことばは、人々によって、どのように違う結果をもたらしますか(18)。なぜ、救いを受ける私たちには、十字架のことばが神の力になるのでしょうか。
2. 聖書には、神様が知恵ある者の知恵と賢い者の賢さをどのようにされると書いていますか(19,イザヤ29:14)。‘知者’、‘学者’、‘この世の議論家’とは、誰を指しており、神様はこの世の知恵をどのようにされますか(20)。
3. この世が自分の知恵によって神様を知ることがないのは、なぜでしょうか(21a)。神様は、どのような方法によって、信じる者を救おうとされたのでしょうか(21b)。宣教の重要性について話してみましょう。ユダヤ人は何を要求し、ギリシャ人は何を追求しますか(22)。
4. しかし、私たちは何を宣べ伝えていますか(23a)。ユダヤ人であってもギリシヤ人であっても、神様に召される者に、キリストはどのような祝福として与えられますか(23b、24)。なぜ、キリストが神の力と知恵になるのでしょうか(25)。
5. コリント教会の聖徒の構成には、どんな特徴がありますか(26)。しかし、それにはどのような神様の御旨がありましたか(27~29)。キリスト・イエスのうちにあるコリント聖徒たちは、キリストによってどのような祝福を受けたのでしょうか(30)。私たちは何を誇るべきでしょうか(31)。
6. パウロはコリントの人々に神のあかしを宣べ伝える際に、何に気をつけていましたか(2:1)。また、その理由は何でしょうか(2)。‘すぐれたことば’、‘すぐれた知恵’とは何を意味します。
7. パウロがコリントにいた時、彼の状態はどうでしたか(3)。彼の宣教は、どのような形で現れましたか(4)。パウロが御霊と御力によって、宣教に励んだのは何のためでしたか(5)。