2018年Ⅰコリント第7講                           446章

自分のからだをもって、神の栄光を現しなさい

御言葉 :Ⅰコリント6: 1 ~ 20
要 節 : Ⅰコリント6: 20

1. コリント教会の中には、どのような人がいましたか(1)。ここで、‘正しくない人たち’とは誰を指していますか。
2. 教会の聖徒たちと争いを起こしたとき、「世の人たちに訴えること」が、なぜ正しくないことなのでしょうか (2-4)。‘聖徒が世界をさばく’、‘私たちは御使いをもさばくべき者だ’というのは、何を意味していますか。
3. パウロは、コリント教会のどんな問題を指摘していますか(5,6,8)。‘兄弟の間の争いを仲裁する賢い者’の役割と大切さについて話してみましょう。 聖徒たちは、互いに訴え合うことより、むしろどのようにすべきでしょうか(7)。
4. どのような者が神の国を相続できないのですか(9,10)。私たちは何に気をつけなければなりませんか。コリント教会の聖徒たちは、何によって、聖なる者とされ、義と認められたのですか(11b)。
5. 当時のコリント教会の中にはどんな考え方がありましたか(12a)。 しかし、パウロは信仰の自由に対してどのように警告していますか(12)。なぜ、自分のからだを不品行のために使ってはいけませんか(13,14)
6. 私たちは自分のからだが、「誰に属しているのか」を、なぜ知らなければなりませんか(15a)。
遊女と交わってはいけない理由は何でしょうか(15b,16)しかし、主と交われば、どうなりますか(17)。
7. なぜ、不品行を避けなければなりませんか(18-20a)。私たちのうちに誰が住んでおられますか。ですから、わたしたちは自分のからだをもって、どのようにすべきでしょうか(20b)。