聖書別日ごとの糧   >>   エゼキエル書[2024]

2024年 10月 08日 (火)

エゼキエル書25:1-17(3)
あはは、と言ってあざけった

 人の不幸を喜ぶ者がいます。特に、主の民が困った時、非常に喜ぶ者たちがいます。本文のアンモン、モアブ、エドムがそうでした。アンモンとモアブはアブラハムの甥ロトの子孫でした。エドムはヤコブの兄エサウの子孫です。彼らはイスラエルと特別な関係にある者たちでした。だから、主はイスラエルがカナンの地に入る時、彼らと争ったり、戦ったりしてはならないと言われました。彼らの地は、イスラエルに与えないと命じられました(申2:5,9,19)。他のカナン人たちが断ち滅ぼされるときにも、彼らは無事でした。彼らはイスラエルに感謝すべきでした。しかし、彼らはどうしましたか。

 アンモンはイスラエルの地が荒れ果てたとき、あはは、と言ってあざけりました。モアブは、ユダの家は異邦の民と変わらないと非難しました。彼らは、主の民であるイスラエルが滅びてゆくのを見て、異邦の民と同じ扱いをしました。エドムはユダの家に復讐を企てました。彼らはイスラエルの不幸こそ、自分たちの幸せだと思いました。主はイスラエルをその罪のために厳しく裁かれましたが、主の民の滅びを喜ぶ者たちもまた厳しく裁かれます。アンモンとモアブは、東の人々に渡されるようになり、エドムは、主の民イスラエルの手で直接復讐されます。神である主は、アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムをのろう者をのろい、地上のすべての民族はアブラハムによって祝福されると約束してくださいました(創12:3)。主の民がその罪によって、主の裁きを受けるときがあります。そのとき、この世の人々だけでなく、主の民同士からも、あははとあざけられるときがあります。しかし、主の民を呪うと、その呪いが自分に返って来ることを知っておかなければなりません。私たちは人の不幸のとき、慰めるべきです。他人の不幸を願うより、祝福してあげるべきです。



祈り:主よ、私も私の国の人々も、他人の不幸をあざけることなく、悪い者に復讐することなく、すべてのさばきを主に委ねられるよう助けてください。むしろイエス様の御名によって他の人を祝福し祈ることができるようにお助けください。

一言:祝福してあげるべきです


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