聖書別日ごとの糧   >>   創世記[2004]

2004年 06月 11日 (金)

創世記2:1‐7
安息日を創設された神様

Ⅰ.安息日を聖なる日とされた神様(1‐3)
 神様は六日の間天地万物を創造され、七日目には休まれました。そして、その日を祝福され、聖なる日とされました。安息日は、他の日と違う聖なる日です。安息日には、世のことを休み、神様に礼拝し、聖徒たちと聖なる交わりを持つべきです。そうするとき、私たちの人生に神様の安息があります。今日、人々にまことの安息がないのは、自分の欲のため安息日にも働こうとするためです。休むといってもからだだけ休めようとし、神様との交わりを通してたましいの安息を得ないからです。
Ⅱ.いのちの息を吹き込まれた神様(4‐7)
 地には、まだ一本の野の潅木もなく、まだ一本の野の草も芽を出していなかった時、神様は人を造られました。神様は、土で人を造られました。そして、神様はその鼻にいのちの息を吹き込まれました。そこで、人は生きものとなりました。「生きもの」とは、生きている存在、またはたましいを持った存在という意味です。そこで、人は肉体的には土に過ぎないです。しかし、人がまことの人であるのは、神様が人にたましいをくださったからです。人は肉体を持っているので、食べ物を食べなくてはなりません。しかし、人にはたましいがあるので、神様の御言葉も必要です(マタイ4:4)。神様の御言葉がなければ、人にはまことの満足がありません。神様が人をそのように造られたからです。

祈り:主よ、肉体的な満足を通しては真の満足がありません。安息日に主と交わることによって、、まことの安息をください。

一言:人にはたましいがある



2004年 06月 12日 (土)

創世記2:8‐25
エデンの園を造られた神様

Ⅰ.聖なる命令をくださった神様(8‐17)
 エデンの園には、食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするという木がありました。一つの川が、この園を潤すため、エデンから出ており、そこから分かれて、四つの源となりました。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木とを生えさせました。神様は、人をエデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせました。それぞれの木の実を思いのまま食べられるという、無限の自由をくださいました。ただし、善悪の知識の木からは取って食べてはならないと命じられました。この命令は、人間にくださった絶対的な生き方の座標であり、創造主神様と被造物である人間の間に存在する霊的秩序を想起させるための命令です。人はいくら物質的に豊かであっても、神様との秩序を守らなければその幸福を守ることが出来ません。私たちの心に神様の絶対的な御言葉をおき、神様との秩序を守ることこそ、エデンの幸福を取り戻す道です。
Ⅱ.助け手をくださった神様(18‐25)
 神様は、アダム一人では神様がくださった使命を担うのが難しいことを知っていました。そして、助け手を創造されました。女の使命は、男を助けることにあります。これは神様が立てられた秩序です。しかし、助ける人は、助けてもらう人よりもっと成熟していなければならないということも忘れてはいけません。

祈り:主よ、神様を覚え、御言葉に従順する生き方の中に、エデンの幸福があることを信じます。聖なる御言葉に従順します。

一言:絶対的な命令


<<(1)    前のページ(1)    2    次のページ(3)    (41)>>

聖書別日ごとの糧