聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2012]

2012年 02月 04日 (土)

出エジプト記2:1-10
モーセを引き出された神様

Ⅰ.モーセの両親の信仰(1-4)
 パロは今、公開的に残忍な幼児殺害政策を出しましたが、それは男の子が生まれたらナイル川に投げ込め、というものでした(1:22)。そのことによって、モーセは生まれてすぐにナイル川に投げ込まれて死ぬ運命にありました。しかし彼の両親は、そのかわいいのを見て、三カ月間隠して置いて育てました。彼らは、神様がその子に特別な御旨を置かれておられるのを信じて、それで恐れに打ち勝つことができました(ヘブ11:23)。しかし、これ以上隠すことができなくなると、彼らは子どもの将来を神様にゆだね、子どもを川のところに置きました。
Ⅱ.モーセを引き出された神様(5-10)
 ところが、神様はモーセを川から引き出されました。ちょうどその時、パロの娘が水浴びをしようと出て来て、川に捨てられた子どもを見つけました。パロの娘はその子をかわいそうに思い、水の中から引き出して、自分の子どもにしました。そしてモーセは生母を通して信仰の教育を受ける一方で、パロの娘の子どもとして、エジプトの宮中の英才教育を受けることで、指導者として必要な実力を身に着けることができました。「モーセ」とは、「水の中から、私がこの子を引き出した」という意味です。モーセを水の中から引き出された神様は、どんな絶望的な状況の中でも、救いの御業を成してくださる望みの神様です。この神様を信じる時、私たちはどんな運命的な人生でも、神様の摂理を発見し、希望に満ちた人生を生きることができます。

祈り:主よ!運命的な人生を生きるしかなかった私を救ってくださり、明るく希望に満ちた新しい人生を生きるようにしてくださり、感謝します。

一言:神様の中に運命はない



2012年 02月 05日 (日)

出エジプト記2:11-25
モーセを訓練された神様

 モーセが成長した後、彼はイスラエルの民が苦役に課せられているのを見て、選民としての自覚を持つようになりました。そうしてある日、エジプト人が自分の同胞を打っているのを見て、怒りを抑えることができませんでした。彼はエジプト人を打ち殺して、砂の中に隠してしまいました。そして次の日、二人のヘブル人が互いに争っているのを見て、仲裁しようとしました。彼は、同胞たちがエジプト人を打ち殺したのを見て、自分を救い主として受け入れてくれるだろう、と期待していました。しかしむしろ排斥され、結局は指名手配者になり、パロのところから逃れて、ミデヤンの荒野に逃れるようになりました。
 彼は荒野でレウエルの娘チッポラと結婚し、妻の家で生活するようになりました。宮中生活をしていた彼が一日のうちに羊飼いになりました。しかしモーセは荒野生活を通して、謙遜訓練、孤独訓練、仕える訓練を受けることで、人間的な血気が取れ、謙遜と柔和と信仰の人として変えられて行きました。
 モーセが神様に用いられるために、荒野訓練が必要であるように、人間的にはいくら素晴らしい人であっても、自ら救い主になることはできません。自分の生活を犠牲にして、神様の救いの御業に献身しようと決断した人であっても、訓練なしには霊的な指導者にはなれません。神様の訓練を通して自我が砕かれ、霊的な人に変えられた者だけが神様に用いられるようになります。私たちが主に用いられる生活をするためには、霊的な訓練をよく担わなければなりません。

祈り:主よ!私は、人間的な血気と自己義が先に出てしまう人間です。私を訓練して、霊的な人に変えてください。

一言:霊的な指導者には、霊的な訓練は必須科目


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