聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2012]

2012年 02月 06日 (月)

出エジプト記3:1-12
モーセを召された神様

Ⅰ.聖なる地である(1-5)
 イスラエル人は苦役によって呻き、叫びました。神様はその苦しみの声を聞かれ、アブラハムとイサクとヤコブに結んだその契約を思い起こされ、彼らをご覧になりました(2:23-25)。彼らを救うために、神様はモーセを召されました。モーセが荒野で生活をしてから四十年の月日が流れた時、神様は柴の中の日の炎の中から、彼を呼ばれました。「モーセ、モーセ。」今まで、モーセは全ての人々に忘れられて来ましたが、神様は決して彼を忘れず、時になると彼を呼ばれました。モーセを呼ばれた後、神様は彼に命じられました。「あなたの足のくつを脱げ。あなたの立っている場所は、聖なる地である。」モーセがくつを脱がなければならない理由は、モーセが立っている場所が聖なる地だからです。彼はその地を失敗の地、呪いの地と考えていました。しかしそこは、神様が彼を訓練され、神様が彼を召された聖なる地です。
Ⅱ.わたしはあなたをパロのもとに遣わそう(6-12)
 神様は、モーセを通して、イスラエルを乳と蜜の流れるカナンの地に導く、と約束されました。神様は、時になると、モーセをイスラエルの指導者として用いようとされました。それに対して、モーセは四十年前とは違い、「私はいったい何者なのでしょう」と言いました。それほど彼は謙遜でした。神様は、このような彼とともにいる、と約束されました。

祈り:主よ!私はみじめな者ですが、神様が私を召してくださり感謝します。私が自分のくつを脱いで、主の使命を受け入れます。

一言:神様に召された場所が聖なる所



2012年 02月 07日 (火)

出エジプト記3:13-22
「わたしはある」という者

Ⅰ.わたしは、「わたしはある」という者である(13-16)
 モーセは、民たちが自分に現れた神様の名前を尋ねた時、何と答えればいいのか、と神様に尋ねました。すると神様は、「わたしは、『わたしはある。』という者である。」と言われました。神様は「あってあるもの」(I am who I am)です。神様は、ある原因によって存在するようになった方ではなく、神様ご自身が全ての存在の原因です。この神様は歴史を主管され、働かれる方であり、「昔いまし、今もいまし、とこしえにおられる方」です(黙1:4)。この神様はまた、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神であり、またモーセの神であり、私の神です。神様は宇宙万物をお造りになった大いなる方であり、同時に、一人一人の人生を摂理の中で導かれる人格的な方です。
Ⅱ.強い手で(17-22)
 あってあるものである神様がモーセを遣わして、エジプトの圧政の下にいるイスラエルを乳と蜜の流れる地へ上らせると言われました。そのために、強い手でパロを打たれ、あらゆる不思議を行なう、と言われました。そうしてからパロが屈伏し、その時、イスラエルの民はエジプトの品々を持って出て行くようになる、と前もって話されました。パロの勢力は強いものでした。しかし神様はもっと強い方です。パロが巨大な力で妨害しますが、神様はさらに大きな力で、出エジプトの御業を成し遂げられます。

祈り:主よ!私が、あってあるものの神様が私の神様であることを信じ、やみの勢力から抜け出すことができるように、祈ります。

一言:主なる神様、私の神様


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