聖書別日ごとの糧   >>   出エジプト記[2021]

2021年 03月 09日 (火)

出エジプト記17:1-7(6)
あなたはその岩を打て、岩から水が出る

イスラエルの全会衆は、主の命によりシンの荒野を旅立ち、旅を続けてレフィディムに宿営しましたが、そこには民の飲み水がありませんでした。すると、民たちはモーセと争い、「われわれに飲む水を与えよ。」と強い口調でモーセを責め立てました。彼らは既に神様の力と恵みによって、おびただしいマナとウズラを食べる奇跡を体験しています。ですから、彼らは食べ物だけでなく、水の問題をも解決してくださる神様を信じて祈るべきでした。しかし、彼らは、いつもの悪い癖が出て、再び神様に不平不満を言いました。そんな彼らにモーセは、神様を試みる彼らの罪の問題をはっきり指摘しました(2)。しかし、民は悔い改めるどころか、むしろ「いったい、なぜ私たちをエジプトから連れ上ったのか。私や子どもたちや家畜を、渇きで死なせるためか」とモーセを恨み、中にはモーセを石で打ち殺そうとした人さえもいました。さらに、「主は私たちの中におられるのか、おられないのか」と言って、主の存在さえも疑ったのでした。彼らの言動は極めて幼稚で自己中心的であり、歴史認識も欠如しています。

しかし、神様はそんな彼らを見捨てられず、ここでも彼らに恵みを施されました。主はモーセに、「あなたがナイル川を打ったあの杖を手に取り、…ホレブの岩の上で、…その岩を打て。岩から水が出て、民はそれを飲む」(5、6)と言われました。神様は以前苦くて飲めなかった水を甘い水に変えてくださいましたが(出15章)、今回は岩から水が湧き出るようにされました。神様は人間の理性と経験を遥かに超えた力の持ち主です。神様は無から有を造られる創造主であり、岩からでも水を出す全能なお方です。ですから、私たちはどんなに辛い状況に出会おうとも落胆する必要はありません。硬い岩からでも水を出すことの出来る神様が、いつも私たちとともにおられるからです。



適用:神様の力は私たちの常識を遥かに超えています

一言:岩からでも水を



2021年 03月 10日 (水)

出エジプト記17:8-16(16)
代々にわたりアマレクと戦われる主

さて、アマレクが来て、レフィディムでイスラエルと戦いました。モーセは直ちに、男たちを選んでアマレクと戦うようにとヨシュアに命じました。翌日、モーセは神の杖を手に持って、アロンとフルとともに丘の頂に登りました。モーセは、丘の頂で天に向かって手を上げました。モーセがそのようにしたのは、神様の助けを求めるためでした。モーセが手を高く上げているときは、イスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になりました。イスラエルが勝つためには、モーセが手を上げ続けていなければなりませんでした。しかし、時間が経つと手は疲れて重くなります。そこで、アロンとフルは石を取ってそれをモーセの足もとに置き、モーセはその上に腰を掛けました。そしてモーセの手が下がらないように、一人はこちらから、一人はあちらから、日が沈むまでモーセの手を支えました。このようにして、ヨシュアはアマレクとその民を剣の刃で討ち破ることができました。霊的な戦いも同じです。一緒に同労して祈りの手を上げ続けているなら、神様が勝利を与えてくださるのです。

アマレクとの戦いで勝利を収めた後、主はモーセに「このことを記録として文書に書き記し、ヨシュアに読んで聞かせよ」と言われました。その後、モーセは祭壇を築き、それを「アドナイ・ニシ」と呼びました。これは「主はわが旗」という意味です。この「旗」は「勝利の旗」を示しています。アマレクは長い間、神の民イスラエルを苦しめてきた強い民族です。しかし、モーセは主が先頭に立ってアマレクと戦われるとの約束を信じました。そして、アマレクと戦って勝利することができました。だから、モーセは最後に「主の御座の上にある手。主は代々にわたりアマレクと戦われる」と言ったのではないでしょうか。神様がいつも私たちとともにおられるのは実に心強いことです。アドナイ・ニシの神様が私たちとともに戦って下さるのですから、私たちはどんな敵との戦いにおいても、必ず勝利することができるのです。



適用:あなたは霊的な戦いでだれに頼りますか

一言:アドナイ・ニシ


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