聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2016]

2016年 02月 23日 (火)

レビ記14:1-9
そうして後、彼は宿営にはいることができる

1.鳥の血に浸す(1-7)
 神様の恵みによって、ツァラアトが癒されると、祭司が宿営の外に出て行き、その人を診察しなければなりません。その人が完全にいやされているなら、湧き水の上で、一羽の小鳥をほふり、その血に、他の生きている鳥と杉の木と火色の拠り糸とヒソプを浸して、ツァラアトからきよめられた者の上に七たび振りかけて、その人をきよいと宣言しなければなりません。ここで、鳥の血を振りかけるのは、キリストの血によって、その人の罪が贖われたことを意味しています。朽ちない杉の木と、犠牲を象徴する緋色の拠り糸と、香りをはなつヒソプを用いたのは、キリストの犠牲を通して、朽ちて臭い罪から癒されたことを意味します。そして血に浸した生きた小鳥を野に放つのは、キリストの犠牲を通して、その罪を遠くに飛ばすことを意味します。イエス・キリストの血は、私たちの罪を贖い、遠ざけ、傷を癒してくれます(イザ53:4-6)。
2.自分の衣服を洗い、水を浴びる(7,8)
 鳥の血を注がれたからと言って、彼はすぐに神様の民と一緒に生きることはできません。血を注がれた後、自分の天幕の外に七日間留まった後、髪の毛、ひげ、まゆげなどすべての毛をそり落とし、その衣服を洗い、水を浴びなければなりません。これは、生まれ変わった後、神様の子どもとして、きよい生活をすることと、神様の民と交わり、祝福が受けられることを、意味します。

祈り:主よ!キリストの血によって、私の罪を贖い、遠ざけてくださったことを感謝します。これから主の子どもとしてきよい生活をします。

一言:その後、宿営の中に入ることができる



2016年 02月 24日 (水)

レビ記14:10-32
罪過のためのいけにえの血を塗りなさい

 ツァラアトが癒された人は血を注がれ、七日の間きよめの儀式を行なったからと言って、すべてのことが終わったのではありませんでした。
 七日間のきよめの期間を終えて、八日目に、祭司はツァラアトから癒された人を、子羊と、小麦粉のささげ物と共に、油一ログとを持って、会見の天幕の入口に置かなければなりません(11)。そして子羊をほふり、油と共に罪過のためのいけにえとして、神様にささげなければなりません。そしてその子羊の血を取って、それをきよめられる者の右の耳たぶと、右手の親指と、右足の親指に塗り、油を取って、神様の御前に七たび振りかけ、罪過のためのいけにえの血の上に塗らなければなりません。
 罪過のためのいけにえをささげることは、それまで汚れた関係で、神様に害を及ぼしたことを贖う意味があります。そして、羊の血と油を、祭司就任式のように、からだの三か所に塗ったのは(レビ8:22-40)、今病が癒されたので、そのからだを神様の栄光のためにささげるという、しるしでした。このような罪過のためのいけにえをささげ、神様に自分をささげる礼拝を意味する全焼のいけにえと、神様に感謝する穀物のささげ物をしなければなりません(19,20)。神様は、貧しい人のために、山鳩でもいけにえとして仕えるように配慮してくださいました。(21-32)。
 神様は、不浄な病から癒された者が、自分勝手に生きることを願われませんでした。神様は、その人が神様の恵みを覚え、その人生を、神様の栄光のために、聖なる生きた供え物としてささげるように、命じられました(ロマ12:1)。まず、礼拝して、感謝する生活をするように、言われました。

祈り:主よ!罪によって死んだ私を、キリストの血によって生かし、きよめてくださり感謝します。このいのちを生ける供え物として主にささげます。

一言:このからだを、生きた供え物として


<<(1)    前のページ(12)    13    次のページ(14)    (32)>>

聖書別日ごとの糧