聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2016]

2016年 02月 27日 (土)

レビ記17:1-16
罪を贖う血

1.家畜をほふる時は(1-9)
 神様は、牛や羊、やぎなどを、食用としてほふる時には、必ず会見の入口でほふり、その中で、血と脂は、主への和解のいけにえとしてささげるように、と言われました(3-6)。また、全焼か、ほかのいけにえをささげる時にも、必ず会見の天幕の入口に持って行って、神様にささげるように、命じられました(8,9)。食用まで、会見の入口の前に来て、ほふることは不便です。なぜこのように教えられたのでしょうか。第一に、獣をほふって偶像崇拝することを防止するためでした(7)。第二に、食生活に対して、神様に感謝するように、助けるためでした。第三に、神様を中心に、一つの信仰の共同体を形成し、神様の御前に生きることを助けるためです。神様は、ご自分の民が偶像崇拝や自己中心の生活をすることを、願われません。神様中心の生活をすることを願われます。
2.血を食べてはならない(10-16)
 神様は、「どんな血であっても食べてはならない」と繰り返して、命じられました(10-14)。なぜこのように戒められたのでしょうか。第一に、私たちの健康のためです。獣の血、脂などには、多くの血が含まれています。第二に、血はいのちを意味するからです。獣のいのちであっても、貴く思わなければなりません。第三に、血は贖いを象徴しています(11)。血は、人類の罪を贖うために流されるキリストの血のしるしです。キリストは、私たちの罪を贖うために、十字架で血を流されました。この血は、私たちのいのちを生かす血です。

祈り:主よ!死んで当然な罪人たちのために、贖いの血を流され、死なれることで、私たちのいのちを生かしてくださった恵みを賛美します。

一言:いのちを救う贖いの血


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