聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2016]

2016年 07月 01日 (金)

レビ記17:1-16
いのちとして購いをするのは血である

Ⅰ.家畜をほふる戒め(1-9)
 神様は、牛や羊、やぎなどを食用のためにほふる時は、必ず会見の天幕の入り口でほふり、その血と脂肪は食べてはならず、主への和解のいけにえとしてささげるように、と命じられました(3-6)。食用まで、会見の天幕の入り口にまで持って行くことは不便です。しかし神様がこのような戒めをくださったのには、深い意味があります。第一に、家畜をほふって、偶像崇拝することを防止するためです(7)。第二に、食生活に対して、神様に感謝するためです。第三に、神様を中心に、一つの共同体を作り、神様の御前で生きるようにするためです。このように神様は、神様の民が偶像崇拝と自己中心の生活に陥ることを願われず、徹底的に神様中心の生活をすることを願われます。
Ⅱ.血に対する戒め(10-16)
 神様は、どんな血であっても食べてはならない、と繰り返し命じられます(10-14)。神様は、なぜ絶対に血を食べてはならない、と戒められたのでしょうか。第一に、血はいのちを意味するからです。血のなかにいのちがあり、価値あるものです。神様は、私たちがいのちを軽視する罪を犯さないように、早くから禁じられました(創9:5)。第二に、血は購いを意味します(11)。血は、人類の罪の購いのために流されたキリストの血に対する、しるしです。イエス・キリストは、私たちの罪を購うために、十字架で尊い血を流されました。この血は私たちのいのちを生かす、購いの血です。

祈り:主よ!私の罪によって、血を流して死ぬべき罪人の代わりに、購いの血を流された血の恵みを感謝賛美します。

一言:いのちを生かす主の血


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