聖書別日ごとの糧   >>   レビ記[2016]

2016年 07月 12日 (火)

レビ記25:1-22
安息年とヨベルの年

 神様は第7年目を土地を休ませる安息年とし、第50年目を「ヨベルの年」にすることについて教えてくださいました。カナンの地に入ってから七年目になるその年は、土地を休ませなければなりません。畑に種を蒔いたり、ぶどう畑の枝をおろしたりしてはなりません。手入れをしなくても落ち穂によって生えてくるものは、その土地の所有者だけでなく、奴隷と雇い人、在留している居留者、家畜と獣の食物となります。では、どうして安息年という教えを与えられたのでしょうか。
 第一に、土地にも休みが必要だからです。絶えず生産しようとする人間の貪欲は土地を荒廃させます。土地が荒廃すると、人間がその被害をそのまま受けます。それは歴史が証明しています。第二に、神様との関係性の回復のためです。4,5節を見ると「主の安息」とあります。神様は私たちが安息年を通して万物を支配し、導かれる神様と深い交わりを持つことを望んでおられます。
 ヨベルの年にも安息年のように種を蒔いたり、土地を耕したりしていけません。その年の第7月の10日に角笛を鳴り響かせます。国中のすべての住民に解放を宣言するのです。そこで、奴隷になっていた者たちは自由を得、それぞれ自分の所有地と家族のもとに帰ります。こうしてヨベルの年は、真の自由と回復と休みが宣布される年となります。
 人々は、安息年とヨベルの年に収穫ができなくなると心配します。しかし、神様は安息年の前の年に例年よりも多くの収穫を得させることを約束されました。神様は十分な生産量を与えて安息年とヨベルの年を守ることが出来るようにして下さいます。神様はこれらの教えを通して全人類が万物とともに神様に感謝しながら信仰によって生きるように助けて下さいます。神様の恵みを知り、自由と回復の精神を実践しながら生きるように助けてくださいます。

適用:安息年とヨベルの年の精神を実践していますか。

一言:休みと自由



2016年 07月 13日 (水)

レビ記25:23-34
地はわたしのものである

 土地は永遠に売買できません。なぜなら、地は神様のものであるからです。初めに、神様が天と地を造られました。地の所有者は神様であり、神様だけが土地に対する絶対的な権限を持っておられます。ですから、神様の土地で私利私欲を満たすようなことをしてはいけません。イスラエル人が土地を所有しているように見えても、実際の所有者は主ご自身です。兄弟が貧しくなって、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利がある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければなりません。親類がいなくても、ヨベルの年には元の所有者に戻さなければなりません。ヨベルの年とは、全てのイスラエル人が土地を所有する者へと解放されて、回復されるために、神様がお定めになった年です。
 ところが、城壁のある町の中にある住宅に関しては例外となります。城壁のある町中で住宅に住む人からは、ヨベルの年になっても買い戻すことができません。城壁の中に住むことは、自分たちを敵から守ることです。安全に保護されたところで暮らすことになります。その人から家を買い戻すとしたら、その家族は、町から出て行かなければならなくなります。自分たちの保護がなくなり、敵の手に渡される可能性があります。そういうわけで、買い戻しの権利を喪失する例外を定められました。
 しかし、城壁のない村落の家は土地とみなされ、ヨベルの年には初めの所有者のもとに戻されます。それは貧しい人々のものだからです。また、レビ人の町々の家は徹底に保護されます。なぜなら、神様から彼らに与えられた永遠の所有地だからです。もともとレビ人には割り当ての所有地が与えられませんでした。幕屋における主との交わりそのものが、彼らにとっての財産でした。

適用:土地と家の所有者はだれですか。

一言:神様



2016年 07月 14日 (木)

レビ記25:35-55
あなたの兄弟を扶養しなさい

 兄弟(同族)が貧しくなり、自分のもとで暮らしが立たなくなったら、彼を在住異国人として扶養し、自分のもとで生活できるようにしなければなりません。 生活費もないという貧しい人のことは、仲間のイスラエル人が扶養する義務を負います。また、お金や食物を貸す時に利息を取らないようにしなければなりません。もし、あまりの困窮さに自分のからだを売ったという人を買い取ったなら、決して奴隷として取り扱ってはいけません。住み込みの雇い人としておらせても、ヨベルの年には自分の一族の元に帰らせなければなりません。
 貧しさのため、お金持ちの在住異国人、あるいはその異国人の氏族の子孫に、身売りした人がいるなら、兄弟や彼のおじがその人を買い戻さなければなりません。そしてその人を買い戻したからと言って彼を酷使してはなりません。奴隷のように扱わず、兄弟として扱うべきです。
 そのようにしなければならない理由は何でしょうか。イスラエル人が、みな神様のしもべだからです。彼らの神、主が彼らをエジプトから連れ出したからです。神様は彼らを連れ出し、一方的な恵みによってカナンの地を与えられました。すべてが神様から与えられたものなのです。その神様の恵みを思う時、兄弟を自分勝手に扱うことはできません。神様は私たちを罪と死の奴隷状態から救い出してくださいました。その恵みを思う時、隣人を大事に思い、愛するようになります。私たちが、私たちの神、主のしもべであることを思う時、わがままな行動はできません。

適用:貧しい兄弟に対してどのようにしていますか。

一言:助けなさい


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