聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2022]

2022年 09月 08日 (木)

申命記5:1-21(10)
わたしを愛し

神様は、出エジプトした二世たちに、モーセを通してもう一度十戒をくださいました。十戒は、イスラエルが神の民としてどのように生きるべきかを教えるものです。主はこの十戒を、ご自分の民を守り、幸せにし、恵みを千代にまで施すために与えました。神様は、今日を生きている私たちにも、同じ十戒をくださいます。私たちは、過去、罪の奴隷でした。絶対的な戒めがなかったので、罪の欲のままに生きてきた節制のない者でした。しかし今、主の一方的な恵みによって、救いを受け、神様の民となりました。だから、時代を超え、神の戒めを学び、神の民として相応しい人生を生きなければなりません。第一の戒めは、神様のほかに、別の神々を置いてはならない、です。私たちは、神様にささげるべき愛や忠誠を他のものに奪われてはなりません。ただ神様だけを愛し、その方に忠実でなければなりません。第二の戒めは、自分のために偶像を造ってはならない、です。大いなる神様を制限し、私が願う神にし、私に奉仕する存在に落としてはいけません。神様をどんなかたちにも変えてはならず、神様そのものを愛し仕えなければなりません。第三の戒めは、神様の御名をみだらに唱えてはならない、です。私たちは、神様の御名が地に落ちたこの時代の中で、神様の栄光が回復するように力を入れなければなりません。第四の戒めは、安息日を守り、これを聖別せよ、です。安息日は、単に、働かずに休む日ではありません。神様が私たちを救ってくださった新しい創造の日に、世のことから離れ、神様と交わることによってたましいに真の安息を得るのです。第五の戒めから第十の戒めは、隣人愛についての戒めです。神様の民は、神様を愛しているので、両親を敬い、愛すべきです。神様の形に造られた他の人の命を害したり、奪ったりしてはいけません。神様がお立てになった神聖なる結婚の秩序を破壊してはいけません。他の人の所有物を大切に思い、正直に生き、過度な欲望で他の人に被害を与えてはいけません。



祈り:主を知る前は、自分の思いのままに生きることが幸せだと思っていました。しかし、主と出会い、主の愛を知った今は、主と、隣人と、愛の関係を築く生き方が幸せなのだと知りました。感謝します。

一言:主と愛の関係を生きるとき、幸せになる



2022年 09月 09日 (金)

申命記5:22-33(29)
わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように

神様は、十戒をお与えになった時、火と雲と暗やみの中から話されました。それは、告げられる神様が、どれだけ威厳がある方なのかを表すためでした。神様は、それ以上話されずに、十戒だけを二枚の石版に刻んでくださいました。それは、十戒だけがすべての戒めと教えの基礎になるという意味です。神様の栄光を見て、御声を聞いたイスラエルの民はひどく恐れました。大きな火が彼らをなめつくし、神様の御声をもう一度聞けば、自分たちは死んでしまうと恐れ、モーセが仲介者になるようにと頼みました。聖なる神様と私たち罪人の間には、仲介者が必要です。イエス様は新しい契約の仲介者です(ヘブ9:15)。イエス様は、神様と人間との間の仲介者(Ⅰテモ2:5)として、私たちに神様の御声を聞かせ、また、私たちが神様に出て行けるように新しい道になってくださいます(ヘブ10:20)。私たちは、神様の御言葉を聞き、イエス様に頼って神様のもとに出て行くことが出来るのです。

神様の御声を聞いた民たちは、主を恐れ敬う心を持ちました。それを御覧になった神様は、民がその心をいつまでも持ち続け、そのような心で主の全ての命令を守り行ない、彼らとその子孫が祝福を受けるようにと願われました。神様に対して恐れ敬う心を持った者は、右にも左にも動かされません。神様の御言葉を絶対的な人生の基準とし、また座標とし、力強く生きていきます。世の人々が甘い言葉で誘惑して来ても、ゆれ動かされることなく、御言葉に従って生きていきます。神様を愛し、神様を恐れるからです。霊的な緊張を緩めず、神様に対する恐れ敬う心を持って生きる者は祝福され、約束の地を手に入れることができるのです。



祈り:主よ、私が主の御声を聞くほどに主と深く出会い、主の栄光と偉大さを知ることができますように。そして、心から主を敬い、恐れることができますように。

一言:神さまを恐れる時、神様の命令を守れる


<<(1)    前のページ(4)    5    次のページ(6)    (16)>>

聖書別日ごとの糧