2022年 09月 13日 (火)
荒野の道を歩ませた御心
イスラエルは荒野での40年間、神様につぶやき挫折しました。しかし、そこには神様の驚くべき御心が込められていました。
第一に、人はパンだけで生きるのではなく主の口から出る御言葉で生きる存在であることをわからせるためでした(3)。荒野には食べ物がありません。それゆえ、毎日食べ物のことで心配し、生きようともがかなければなりません。ところが、神様は御言葉通りにマナとうずらを与えてくださいました。それを40年間一日も事欠くことなく満ち足りるほど食べさせてくださいました。約束の御言葉に聞き従うと食べる物は与えられることを体験しました。この経験から、食べて生きる問題は結局神様にかかっており、御言葉に聞き従うときに根本問題が解決されることを知るようになりました。このことが、イスラエルをいつも神様の御言葉に頼って生きる民に成させました。
第二に、彼らを苦しめ、試み、ついには幸せにするためでした(16)。ここで苦しめるとは、心をへりくだらせることです。彼らはうなじの固い民でした。奴隷だったにもかかわらず、神様を侮る心高ぶる者でした。祝福を受けるような器ではありませんでした。祝福を受けるためには謙遜な人にならなければなりません。神様は荒野の試練を通して彼らを訓練されました。それによって、自分自身の力では生きていけないことをわからせました。神様の助けなしには生きられない存在であることを悟らせました。心をへりくだらせ、神様の憐れみと慈しみに頼る民に成させました。それゆえ、荒野での生活は祝福です。人生において大切な時間です。荒野の道を歩ませる神様をほめたたえましょう。
祈り:荒野の道は祝福の道です、神様をほめたたえます。
一言:心のうちにあるものを知って助けるために
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