聖書別日ごとの糧   >>   申命記[2023]

2023年 02月 10日 (金)

申命記28:1-14(2)
主の御声に聞き従うので

 イスラエルの民たちが全ての御言葉を聞いて従う時、神様は彼らを地のすべての国々の上に高く上げてくださいます。神様の御言葉に聞き従うなら、全ての祝福をくださいます。祝福の条件は、まず神様と正しい関係を結んで、霊的な秩序を守ることです。全ての悲劇の始まりであるエデンの園でのアダムの罪は、不従順でした。しかし今、新しく神様と契約を結んだイスラエルの民が、御言葉に聞き従うなら、神様は豊かな祝福を無限に注いでくださいます。神様の祝福は時間と場所において、個人と共同体において、霊的なことと肉的なことにおける全ての分野に及びます。神様は町にいる時も、畑に出て働いている時も、祝福してくださいます。子どもたちを祝福し、家族も祝福してくださいます。毎日、必要な糧を豊かに供給してくださいます。何を行なっても、成功させてくださいます。一個人だけではなく、民全体が祝福されます。

 神様は、民たちが御言葉に聞き従う時、彼らの前で敵たち敗走させます。人の浅はかな知恵で成功させようとせず、神様に聞き従うようにするなら、神様がみずからその人と民に勝利をくださいます。神様は御言葉に聞き従うご自分の民を区別して、彼らと共におられます。神様が共におられる民に対して、ほかの人々がむやみに襲いかかることはできません。神様は彼らのために天の蔵を開いて、祝福を降らせてくださいます。当時、人々は偶像崇拝と淫乱なバアルの崇拝によって、雨を降らせることができると考えましたが、実際に雨を司る方は神様です。神様は御言葉に聞き従う者を指導者として立て、歴史を司られます。人々の生死、幸不幸は、神様の御手の中にあります。したがって、どんなことがあっても、揺れ動かされることなく、神様の御言葉に聞き従わなければなりません。神様の御言葉の前に、ひざまずいて、聞き従う者が最も知恵ある者であり、最も栄光ある者になります。



祈り:主の祝福が私の実生活の具体的なところにまで及んでいると気づかせてくださり感謝します。みことばの知恵を求める者として歩ませてください。

一言:入って来ても祝福、出て行っても祝福



2023年 02月 11日 (土)

申命記28:15−35(15)
主のすべての命令と掟を守り行わないのなら

28章は祝福とのろいの御言葉ですが、祝福に比べるとのろいの方が5倍多くあります。イスラエルがカナンの地に入ると、神様の御言葉から離れる可能性がありました。それで、のろいをたくさん教え、警告のメッセージを強調しているのです。カナンの地ではバアルを人々は信仰していました。カナンの人たちは、そのバアルが自分たちに豊かさを与えてくれていると信じていました。そんな彼らの影響を受けてしまうと、イスラエルは、主のすべての命令と掟をしっかり守ることも、行うこともできなくなります。そして、彼らの上にのろいが降りかかることになります。

20節では、もう一度のろわれる理由を言っています。それは、「わたしを捨てたあなたの行いが悪いからである」です。「捨てた」というのは、主を捨ててバアルに仕えるようになったという背教を意味します。イスラエルは、偶像バアルが豊かな生活と多産を自分たちに与えてくれると思いましたが、結局は、主ののろいが下され、やがては滅びることになります。あらゆる病で苦しみ、農作物は育たず、飢饉に襲われます。彼らは敵の前で敗走し、子供たちはほかの民に渡され、何をしても成功しません。彼らは自分の目に見える光景で、気がふれてしまいます。

このように、神様の御言葉に聞き従うか聞き従わないかで、すべてが変わって来ます。祝福でも呪いでもない中間の道などありません。世界がどんどんと悪くなっていくのは、人々が神を神としてあがめず、そのみおしえに聞き従わないからです。



祈り:世の惨事、よくないことで心が塞がっていますが、それは神を認め、神に仕えない不信仰の結果だと受け止め、神様に立ち返るようにお助けください。

一言:御言葉を捨て、神様を捨てたから



2023年 02月 12日 (日)

申命記28:36−68(47)
豊かになる中で、主に仕えようとしないので

私たちはのろいについて預言された多くの内容を目にしています。なぜこれほど、のろいについて多く語られているのでしょうか。それは、私たちが神様の恵みと愛をすぐ忘れるからです。私たちは忘れやすい性質を持っている故に、何度も繰り返し聞かなければ、すぐ忘れてしまうのです。45節でも繰り返し、なぜのろいが臨まれるのかを教えます。イスラエルが、彼らの神、主の御声に聞き従わず、主が命じられた命令と掟を守らなかったからです。

47節は、彼らがのろいを受ける別の理由を教えています。それは、彼らが、すべてのものに豊かになる中で、彼らの神、主に喜んで心の底から仕えようとせず、神から離れて、自分勝手に生きようとしたからです。それで、彼らにひどいのろいが降りかかってくるのです。最後に58,59節でも、なぜのろわれるかが記されています。イスラエルが、律法のおしえのすべてのことばを守り行わず、この栄光に満ちた恐るべき御名、彼らの神、主を恐れないなら、彼らは身体的、精神的病で苦しめられるようになります。更に酷くなると、エジプトで奴隷だった時と同じようになる場合もあり得るのです。

新約の下で生きる私たちは、このような律法ののろいに対して、どのように考えれば良いのでしょうか。私たちものろわれるのでしょうか。ガラテヤ書では、次のように言っています。「キリストは、ご自分が私たちのためにのろわれた者となることで、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」(ガラテヤ3:13)。堕落した世界に住んでいる限り、私たちはその影響を受けて、様々な不足や苦労、病気を経験します。しかし、キリストが十字架について復活して下さったので、私たちの救いはすでに完成しており、どんな状態にあっても、私たちは祝福されている存在です。イエス様が助けに、癒しに来て下さいます。



祈り:豊かにされることは主の祝福です。でも豊かさにあって主イエスの成し遂げて下さったことを忘れてしまわないように豊かな時も私の心を正してください。

一言:豊かなときも、貧しいときも


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