聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2008]

2008年 05月 22日 (木)

ヨシュア記8:1-29
手を引っ込めなかった

 イスラエルはアカンのことで萎縮していました。神様はヨシュアに「恐れてはならない。おののいてはならない。」と激励し、勝利を約束されました。そして兵士をみな率いて、アイに上って行かせました。力を尽くして敵と戦うようにされたのです。神様はアカンの罪によってイスラエルに激しい怒りを発せられました。しかし罪を取り除いた時、変わらずにイスラエルと共におられました。アイの町を軽んじ、三千人を送った彼らが、今度は最善を尽くして戦いに出て行きました。ヨシュアは三万を選び、町のうしろに隠れさせ、自分はその夜に民の中で寝て、戦いの準備をしました。神様は、悔い改めた時、昔の罪をみな赦してくださいます。そして新しく霊的な戦いをするように激励される恵みの主です。
 ヨシュアは敗北をしたふりをして、敵を誘い込みました。敵が町の門を開いておいて、ついて行きました。その時主がヨシュアの手に持った投げやりを町のほうに差し伸ばせと命じられました。ヨシュアが聞き従った時、伏兵が立ち上がって町を占領しました。町を火で焼き、間に挟まれた敵を殲滅させました。アイの民が全滅するまでヨシュアは投げやりを持った手を引っ込めませんでした。ヨシュアは最初の戦闘で敵を軽んじて、大きな失敗を経験しました。しかし悔い改めた後、神様の命令を徹底的に遵守しました。敵を滅ぼすまで信仰と従順の手を引っ込めました。その時、大きな勝利を収めました。失敗は苦いものです。しかし悔い改めて立ち上がり、徹底的に従順するなら神様は失敗を勝利にかえてくださいます。

祈り:主よ!私が失敗しても、再び立ち上がり、主の方向に聞き従って最後まで戦うように助けてください。

一言:最後まで撤退した従順



2008年 05月 23日 (金)

ヨシュア記8:30-35
一つの祭壇を築いた

 アイの町を聖絶した後、ヨシュアは主のためにエバルの山に一つの祭壇を築きました。この祭壇はイスラエルがカナンの地に入って行って、最初に築いた主の祭壇です。カナンの地に主の祭壇を築いたことは、歴史的な意味があります。偶像に仕えていたカナンの地に主を呼んで、賛美する聖なる祭壇が立てられたのです。この祭壇はカナンの地に聖なる祭司の王国を建てるという望みの象徴です。群衆がその祭壇で、主に全焼のいけにえ、和解のいけにえをささげました。全焼は自分を火で焼いて神様に献身する祭司であり、和解のいけにえは神様との関係性を喜ぶ喜びのそなえものです。ヨシュアはカナンの地に主の祭壇を築くことで、その地に神様の主権を宣布しました。罪深い世の中で主の御名を呼び、献身する生活には、主の祭壇を築く歴史的な意味があります。
 ヨシュアはモーセの律法をイスラエルの前で石の上に書きました。これはイスラエルの心に神様の約束を永遠に刻むことを意味しています。またイスラエルの半分はゲリジム山の前に、残りの半分はエバル山の前に立って、律法の書に記録された祝福とのろいの全ての御言葉を朗読しました。カナンの地に入って行くイスラエルに最も大切なことは主の律法を徹底して従順することです。この律法の全ての御言葉が彼らの幸福と不幸を決定します。御言葉によって生きるなら幸福であり、御言葉から離れ不従順なら、のろいを受けるようになります。カナンの地が幸福を与えます。神様の契約の御言葉の前に幸福といのちがあります。

祈り:主よ!私が罪深い世の中で、主を呼び、御言葉の通りに生きる祝福の道を歩むようにしてください。

一言:神様の祭壇を築く生活


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