聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2023]

2023年 09月 05日 (火)

ヨシュア記 5:1-15(2)
もう一度割礼を施せ

イスラエルがヨルダン川を渡って来たことを聞いて、カナン人たちは心が萎え、気力を失っていました。そんな状態ですから、すぐさま攻めれば、簡単に勝利できそうでした。しかし、主はイスラエルにもう一度割礼を施せと命じられました。これは、エジプトを出てからの荒野で生まれた新しい世代は、だれも割礼を受けていなかったからでした。割礼とは自分の栄光を求める生き方から、主の栄光だけを求める民となることを決断する約束のしるしです。主はイスラエルがカナンの地の征服戦争に臨む前に、神様の民であることをはっきりと認識させました。戦争の動機と目的をはっきりさせ、カナンの地で主の栄光のための戦いをするためでした。

ヨシュアがエリコにいたとき、一人の人が抜き身の剣を手に持って彼の前方に立っていました。「あなたは私たちの味方ですか。それとも敵ですか。」とヨシュアは尋ねました。すると、彼は「いや」と答えました。この言葉は英語聖書では“Neither”という単語で、あなたの味方でも敵でもないという意味です。彼は自分を主の軍の将であると言いました。主の軍の将が「いや」と言ったのは、イスラエルが積極的に主の側に立たなければならないことを教えています。私たちは神様を私たちの味方にしようとしてはいけません。私たち自身が主の側に立ち、主の栄光のために、戦わなければなりません。主である神様の軍の将は、ヨシュアに足のはきものを脱ぐように言いました。はきものは、日々汚れてしまうものです。ヨシュアはエリコの征服戦争をする前に、まずは、自分の罪を日々悔い改め、清められなければなりません。霊的な指導者は主に用いられるように日々汚れたはきものを脱ぎ、きよめなければなりません。



祈り:主よ、イエス・キリストの十字架の愛、その血による罪の赦し、贖いに感謝します。罪の奴隷としてのそしりが取り除かれ、神様のものとされたことを感謝します。日々、主の御前ではきものを脱ぐ信仰生活ができるようお助けください。

一言:心の割礼


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