聖書別日ごとの糧   >>   ヨシュア記[2023]

2023年 11月 09日 (木)

ヨシュア記24:1-13(12)
あなたがたの剣にもよらず

ヨシュアは、最後に全部族をシェケムに集めました。アブラハムから、カナン征服と分配に至るまで、歴史の主体が誰であるのかを彼はもう一度語りました。神様はカルデヤのウルで偶像に仕えていたアブラハムを導き出されました。彼の種を増やそうと息子イサクをくださり、イサクにはヤコブとエサウをくださいました。ヤコブの子孫がエジプトで苦しんでいたとき、神様はモーセとアロンを遣わされ、導かれました。彼らを追いかけてきたエジプト軍を海で覆われました。彼らに向かって来たアモリ人を絶滅させ、さらにはバラムを通してモアブの王の呪いさえ祝福に変えられました。ヨルダン川を渡ってからも、神様はすべてのカナン人をイスラエルの手に渡されました。戦う前にスズメバチを送って追い出されました。これまでの歴史を見ると、イスラエル自身が強かったから、富んでいたから、賢かったから勝利したという話は一つもありません。必要なときに、神様が介入して働かれました。ヨシュアはこれを明らかに強調します。「あなたがたの剣にもよらず、あなたがたの弓にもよらなかった」(12b)。

自分が偉いからできたことなのだとか、自分が苦労してこのような結果を得たと思うようになったその時から、信仰は陰ります。自己満足を目的として生きる、自分の栄光を求める俗物になります。神様は、彼らが苦労しなかったのに、約束のものを与えてくださいました。植えなかった実も食べさせてくださいました。私の手柄ではありません。神様の愛と主権がこれを実現したのです。だからこそ、謙遜であり続けることが大切です。私が10%程度努力して、神様が90%働かれたのではなく、神様が100%働かれたことをいつも認めるべきです。その時、祝福を担えることができ、神様の祝福をこれからも受けることができます。



祈り:神様の手柄でしかないのに、自分の手柄にしたい気持ちがあります。私は恵みでいただいたことなのに、それにしがみついてばかりいます。どうか、主が与えてくださったと素直に感謝していられるようにお助けください。

一言:自分でしたことではない



2023年 11月 10日 (金)

ヨシュア記24:14-33(15)
私と私の家とは、主に仕える

神様の恵みによってカナンがイスラエルの民に与えられたことを、ヨシュアは思い出しました。最後に彼はすべての偶像を除き去り、主にのみ仕えるように言います。たとえ彼らが他の神に仕えたとしても、自分と自分の家だけは、主に仕えると明言しました(15)。カナンは新しい場所で、エジプトや荒野とは全く異なる文化や生活背景の場所でした。それでも神様に対する信仰は、変わってはならないとヨシュアは念を押しました。彼のことばに民も刺激され、決して他の神々に仕えないと答えました。ヨシュアは、主は聖なる、ねたむ神なので、あなたが仕えるのは容易ではないと言います。民はそれでも仕えると言います。ここでヨシュアは民とシェケムで契約を結んで定めとおきてとを定めました。

一人の影響力は実に大きなものです。私と私の家は主に仕えるというヨシュアの覚悟は、状況に応じて揺れる民の心を完全に固くし、神様にのみ向かわせました。このようなヨシュアが生きている間、イスラエルは主に仕えました(31)。私たちは、次の世代までは責任を負うことができませんが、自分の世代に対しては、責任を持つべきです。祝福の時に安住して自己中心的に生きやすい私たちに、ヨシュアは明らかに言います。「わたしとわたしの家は主に仕える」。



祈り:時代は常に変わり、世の中も変わり続けます。しかし、どんな時でも主に仕えることをやめることなく、いつまでもそうし続けていられるように、今日の日も主がお導きください。

一言:ただ主に


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