聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2013]

2013年 02月 21日 (木)

Ⅱ列20:1-11
涙をご覧になった神様

 ヒゼキヤは預言者イザヤから、「死を備えよ」という神様の御言葉を聞きました。その時、彼は顔を壁に向け、主に向かって大声で泣き、祈りました。「ああ、主よ。どうか思い出してください。私が、まことを尽くし、全き心をもって、あなたの御前に歩み、あなたがよいと見られることを行なってきたことを。」彼が死を受け入れることができなかったのは、個人的な悲しみからではありませんでした。民の主権者として、アッシリヤの脅威の前にいる民たちに対する牧者の心情からでした。彼の涙は、牧者を失った民たちが敵から受ける苦しみを考えて、流した牧者の涙です。神様は、ヒゼキヤの祈りを聞かれ、彼の涙をご覧になりました。彼の死についての計画を、思い直されました。神様はヒゼキヤの寿命に十五年を加えられました。また、エルサレムの救いを約束されました。神様は、神様の民のために流す指導者の涙を、喜ばれます。牧者のいない羊たちのために、流す指導者の涙が神様の心を動かします。
 ヒゼキヤは、神様が自分をいやしてくださるしるしとして、「影が十度戻る」ことを求めました。預言者イザヤが祈ると、影が十度あとに戻されました。これは、自然の世界では起こり得ない奇蹟です。神様がヒゼキヤのいのちを伸ばされたのも、神様の成し遂げられた御業です。神様には、不可能がことがありません。私たちが祈りによって、神様の御心を動かすなら、神様は、どんなに不可能に思えることも、可能にしてくださいます。私たちの祈りを聞いてくださる方は、天地を造られた神様だけです。

祈り:主よ!私も、指導者なしに破滅に向かっている羊の群れを考え、嘆き悲しむ牧者になるように、助けてください。

一言:私の涙を喜ばれる神様



2013年 02月 22日 (金)

Ⅱ列20:12-21
何一つ残されまい

 バビロンの王がヒゼキヤに手紙と贈り物を遣わしました。当時、バビロンは北方の小国に過ぎませんでした。ヒゼキヤは使者たちに、王宮とその国の中にある全ての物を見せました。自分の栄光を現わそうとする傲慢に陥りました。神様の恵みを受けることより、さらに難しいのは、その恵みを謙遜に担うことです。ヒゼキヤは神様の恵みを受けてからは、それを自分の栄光と考え、誇りました。死ぬべき罪人を生かしてくださったのに、神様の栄光を現わさず、自分の栄光を誇ったのです。神様の恵みは、私の誇るべきものを与えるためではありません。私を死から救ってくださった主だけを誇ることが、恵みを担うことです。
 預言者イザヤは、ヒゼキヤが誇った全ての物がバビロンに運び去られ、何一つ残されないと警告しました。また、王の息子たちのうち、捕らえられてバビロンの王の宮殿で宦官になる者がある、と預言しました。神様は、人が誇る物をみな運び去られ、何一つ残らないようにされます。私たちが、神様の他に誇る物があるなら、結局、それは何も残らず、私から運び去られます。私たちは、ただ神様だけを誇らなければなりません。ヒゼキヤは警告の御言葉の前に悔い改め、赦しを請わなければなりませんでした。しかし彼は、自分の代さえ平安なら大丈夫、と愚かな言葉を話しました。指導者は、自分の世代だけではなく、次の世代のことも考えなければなりません。自分の代の平安だけを考える指導者は、次の世代の民たちに、大きな苦痛と羞恥を与えます。

祈り:主よ!私が、自分を誇り、後世に羞恥を残す愚かな指導者にならないように、助けてください。

一言:誇ると、何も残らない


<<(1)    前のページ(16)    17    次のページ(18)    (22)>>

聖書別日ごとの糧