聖書別日ごとの糧   >>   列王記Ⅱ[2013]

2013年 02月 26日 (火)

Ⅱ列23:1-14
契約を結び

 ヨシヤは、神様の御怒りがおさまらないこと、を知りました。しかし絶望に陥らずに、最善を尽くして、自分ができることをしました。彼は主の宮に上り、ユダのすべての民を集め、契約の書のことばをみな、読み聞かせました。そして、主に従って歩み、心を尽くし、精神を尽して、契約のことばを実行することを誓いました。ユダの民が主を捨てて、ほかの神に仕えることで、神様との契約を破りました。しかしヨシヤは、破られた契約を再び結ぶために、全力を注ぎました。民たちは、このようなヨシヤの霊的な戦いに感動を受けました。みな、神様との契約を結ぶことを決断しました。私たちは、罪に陥ったからといって、絶望してはいけません。罪によって崩れた主との契約を回復するために、最善を尽くさなければなりません。私たちには、永遠の契約の仲介者であるイエス様がおられます(ヘブ8:6)。
 ヨシヤは契約を結んだ後、今まで民たちの中に入り込んで来た偶像を壊し始めました。バアルとアシェラのための器物を焼きました。偶像に仕える祭司たちを取り除きました。主の宮に入り込んで来たアシェラ像を焼き、粉々に砕いて灰にしました。主の宮の中にあった神殿男娼の家を壊しました。偶像崇拝の本拠地だった高き所を壊しました。アハズとマナセの時代に立てた全ての祭壇を破壊し、ソロモンが建てた高い所を汚しました。神様との契約を新たにし、神様に対する愛を回復するなら、自分たちの中に入り込んで来た偶像を壊し、砕いて粉々にすることができます。

祈り:主よ!私がどんな絶望の罪の問題の前でも、イエス様に頼り、契約を回復させることができるように、助けてください。

一言:契約を回復しよう



2013年 02月 27日 (水)

Ⅱ列23:15-27
激しい怒りを静めようとはされなかった

 ヨシヤの偶像撲滅は、すでに滅亡した北イスラエルの地域にまで拡大されました。彼は、ヤロブアムが造った高い所を焼きました。サマリヤの各町の高き所を取り除き、その祭司たちを壇の上で殺し、頭蓋骨を壇の上で焼きました。彼が、このようにして徹底的に偶像の祭壇を取り除いたのは、神様を喜ばせようとする純粋な霊的な情熱で満ちていたからです。彼はエルサレムに帰って来てから、契約の書に記されている通りに、過越しの祭りを守り行ないました。士師の時代から列王の時代に至るまで、前例のない、徹底した過越しの祭りでした。また、その地から、霊媒、口寄せ、テラフィム、偶像と、全ての忌むべき物も除き去りました。ヨシヤのように心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くしてモーセのすべての律法に従った王は、後にも先にもいませんでした。私たちも、神様に向けた熱い愛が生きている時、徹底的に偶像と戦うことができます。
 それにも関わらず、ユダに対して燃え上がる主の怒りは静まりませんでした。マナセが、神様を怒らせた罪があまりにも大きく、神様の激しい怒りを静めることができませんでした。ヨシヤの改革が、ユダの民の内面の罪までは、取り除くことができませんでした。神様は、「イスラエルを移したと同じように、ユダも移す」と言われました。エルサレムと主の宮までも捨てようと、されました。ヨシヤのように卓越した人の能力であっても、罪に対する神様の怒りの炎は消すことができません。ただ、イエス様の十字架で流された血潮だけが、罪人にむけられた神様の怒りの炎を消すことができます。

祈り:主よ!私が、神様の燃え上がる怒りの前で、自分の功労を捨て、ただイエス様の血だけに頼るように、助けてください。

一言:イエス様の血のほかはない



2013年 02月 28日 (木)

Ⅱ列23:28-37
悪を行なった王たち

 ヨシヤ王は、神様の怒りから民たちを救うために、力を尽くして、罪と戦った良い牧者でした。そのような彼がアッシリヤを打ちに攻め上って来たエジプトの軍隊と戦い、三十九歳の若さで戦死しました。彼の死は、人の目には、悲劇に移ります。民たちには、あまりにも大きな悲しみでした。しかし、この出来事には、神様の摂理がありました。神様は、ヨシヤが愛する民たちに臨む災いを見ないように、すでに連れて行かれたのです。神様が、時には義人を、早く連れて行かれるのは、わざわいが来る前に、彼を連れて行かれる愛の御旨がありました(イザ57:1)。義人の死を前に、悲しむことより、神様に感謝し、栄光をささげなければなりません。
 ヨシヤが死んだ後、彼の息子エホアハズが王になりました。彼は、三カ月間、統治する中で、主の目の前に悪を行ないました。エジプトの王パロ・ネコは彼を退位させ、エルヤキムを王とし、名前をエホヤキムとしました。エホヤキムは、パロ・ネコが課した税金を払うために、国に重い税金をかけました。国民一人一人に割り当てて、金と銀を取り立てなければなりませんでした。神様の民は、力を尽くして神様に仕える時、幸福と喜びがあります。ところが、彼らが力のまま、異邦人に仕えるようになると、いいようのない悲しみと苦痛が伴いました。彼らは悔い改め、神様に立ち帰らなければなりませんでした。特に、指導者であるエホヤキム王が悔い改めなければなりませんでした。しかし、彼は続けて、主の目の前に悪を行ないました。指導者が悪を行なう時、民は悲しみ、苦しみます。

祈り:主よ!私がわざわいの前に立ち返り、悔い改めることで、民たちに望みを与える指導者になるように、助けてください。

一言:指導者が悪を行なうなら、望みはない


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