聖書別日ごとの糧   >>   歴代誌Ⅱ[2020]

2020年 12月 28日 (月)

歴代誌第二36:1-14(12)
立ち返らない王たち

 本文は、ユダの最後の三人の王の統治を記録しています。ヨシヤ王に代えてその息子エホアハズが王になりましたが、三か月間でエジプトの王によって退位させられました。エジプトの王は、代わりに彼の兄弟エルヤキムを王とし、名前もエホヤキムと改めさせました。そして、エホアハズをエジプトに引いて行きました。ところが、今度はバビロンの王ネブカドネツァルが攻めてきて、エホヤキムを青銅の足かせにつなぎ、バビロンに引いて行き、主の宮の器を略奪して持ち去りました。エホヤキムの子エホヤキンが代わって王となりましたが、三か月と十日しか続きませんでした。バビロンの王が、彼と主の宮にあった尊い器とを、ともにバビロンに連れて行きました。そして、彼の親戚ゼデキヤを王として立てました。このように、王たちが引き続き捕らえられ、主の宮が略奪されるという大変な事態が続きました。

この時、彼らは、このような艱難を霊的に解釈することを知るべきでした。ここにはユダの王たちが主の目に悪であることを行ったことを凝らしめる神様の御心があったからです(13)。神様は、ゼデキヤ王に預言者エレミヤを送って、主の御言葉を告げさせました(12)。しかし、ユダの王たちは、懲戒を受けても、神様の御言葉を告げられても、へりくだることなく、むしろ、うなじを堅くし、心を閉ざして主に立ち返りませんでした。代わりに、エジプトの側に立つか、バビロン側に立つか悩みながら、外交的に解決しようとしました。彼らにとって、本当に重要なことは、神様の側に立つことでした。神様に立ち返って、神様に頼ることが必要でした。人々は、艱難の前で「どうしたら生き残ることが出来るだろうか。」と悩みながら、現実的な解決策をたくさん捜し求めます。しかし、神様に立ち返ることがまことの解決策です(ルカ15:20)。苦しみの時は、心をへりくだらせて神様の御言葉を聞くべき時です。そういう時こそ、神様に立ち返る時です。



適用:艱難の時には、どのようにしたらよいでしょうか

一言:神様に立ち返ろう



2020年 12月 29日 (火)

歴代誌第二36:15-23(23)
主の宮を建てよ

 イスラエル史上、最も悲劇的なことが起こりました。ガルデア人の王が攻めて来て、聖所の中で、容赦なく人々を剣で刺し殺しました。神の宮にある器と財宝、王とその高官たちの財宝とを全てバビロンに持ち去り、神の宮も、エルサレムの城壁も、その高殿も王宮もすべて破壊しました。剣を逃れた残りの者たちは、バビロンへ捕らえ移されて奴隷となりました(17-20)。ところが、歴代誌の著者は、これらの悲劇的なことも、神様がなさったことだと言っています。神様は、ご自分の民とご自分の住まいを哀れまれ、これまでに何度も使者を彼らのもとに遣わし、彼らを立ち返らせようとしてこられました。しかし、民は神様の使者を侮り、その御言葉を蔑み、その預言者たちを笑いものとしました。彼らは、もうこれ以上回復の見込みがない状態にまでなってしまいました(16)。それで、神様は彼らをカルデア人の王の手に渡されたのです。

 ところが、これで終わりではありませんでした。それから七十年後、神様はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせて、ユダの民がエルサレムの主の宮を建てるようにしました。主の宮の破壊をゆるされた神様は、なぜ今更、主の宮を建てるように命じられたのでしょうか。民は、主の宮の本質について、また、神殿をくださった神様の御心について、再び考えさせられたはずです。彼らは、建物自体が大切なのではないことを悟ったはずです(7:19-22)。神様の御言葉を聞いて従う契約の民として生きることが、最も大切であることを悟ったことでしょう。主の宮を建てよ、という御言葉は、今日の私たちにはどんな意味があるのでしょうか。大きくて立派な建物が主の宮なのではありません。イエス様は、新しい主の宮、真の宮として来られました。そして、このイエス様を受け入れた人が主の宮です(コリント第一6:19)。ですから、イエス様を信じて、神様の御言葉に従順であること、また神様の栄光のために生きることが、主の宮を建てることです。



適用:どのようにして主の宮を建てることが出来ますか

一言:神様の御言葉に従順に聞き従うことによって


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