聖書別日ごとの糧   >>   エズラ記[2022]

2022年 10月 12日 (水)

エズラ記3:1-13(13)
賛美するもの、泣くもの

 バビロンから帰還した民は、自分たちの町々にいましたが、第七の月が近づくと、いっせいにエルサレムに集まって来ました。仮庵の祭りを祝うためでした。祭司長ヨシュアとゼルバベルは、祭壇を築き、律法に書かれているとおり、全焼のいけにえを献げました。また書かれているとおりに仮庵の祭りを祝い、毎日の分として定められたいけにえと献げものを主に献げました。しかし、主の神殿の礎はまだ据えられていませんでした。民は神殿建築のために、石切り工や木工を雇いました。シドンとツロの人々には食べ物や飲み物や油を与え、レバノンから海路で、ヤッファに杉材を運ばせました。彼らがエルサレムにある神の宮のところに着いた翌年の第二の月に、主の宮の工事が始まりました。工事のために二十歳以上のレビ人を監督として立てました。そうしてようやく建築する者たちが主の神殿の礎を据えるところまで来ました。この時、祭司やレビ人たちは、ダビデ王の規定によって主を賛美しました。主のいつくしみ、恵みに思いをはせながら賛美しました。バビロンから帰還し、神殿を建築するという神様の御業に驚き、主の宮の礎が据えられたのを見て、民はみな、主を賛美して大声で喜び叫びました。半面、祭司、レビ人、一族の頭たちでかつての宮を見たことのある者は、大声をあげて泣きました。

 宮の礎が据えられると、ある者は神様を賛美し、またある者は泣きました。捕虜生活から戻り、主の宮の礎が据えられたことを主のわざと考える人は、神様を賛美しました。しかし、かつてのソロモンの宮殿と比較した人は、泣くことしかできませんでした。栄華を極めたソロモンの神殿と比べてしまうと、神様への賛美が難しくなります。しかし、捕虜生活から戻り、現実に再建しているのが主のわざだと考えるなら、賛美することができます。この現代も、みわざをなされる神様を見ている人は、過去に縛られることがありません。神様を賛美できるのです。



祈り:主よ、私があなたのみわざを見ることができるように助けてください。

一言:神様がなされる新しいことを見上げましょう


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