聖書別日ごとの糧   >>   エズラ記[2022]

2022年 10月 16日 (日)

エズラ記7:1-28(10)
律法を教えようとして心を定めた

 神殿再建から60年近くの歳月が流れました。アルタクセルクセス王の治世、祭司のかしらアロンの16代子孫エズラは、バビロンからエルサレムに上って来ました。エズラはモーセの律法に通じていた学者であり、王が彼の願いを、みな、かなえるほど信頼を受けていました。エズラは四カ月の長い旅の果てに、神様の恵みの御手によってエルサレムに到着しました。

 エズラがエルサレムに上って来たのは、主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心に定めていたからです。どうしてこのような決心をしたのでしょうか。エルサレムの宮を再建した当時、民たちの信仰は純粋で篤くありました。しかし、歳月の流れとともに、その信仰が冷めてしまったのです。イスラエルの民は、異邦の民がしているような忌み嫌うべきことをまねて、異邦の娘をめとっていました(9:1-2)。イスラエルの篤い信仰が冷め、背教の危機にある原因は、御言葉がないところにあるとエズラは確信しました。宮では、礼拝や行事が行われていましたが、御言葉がないために信仰は弱まり、異邦の悪影響を受けていました。このため、彼はエルサレムに上り、律法を調べ、これを実行しようと心に定めたのです。民たちの中で御言葉が泉のように豊かに流れれば、信仰も回復すると信じていました。今日においても、信仰の回復、リバイバルのみわざが興ることを願うのであれば、御言葉を深く学び、御言葉を教えることに献身することが大切です。

 エズラの決心について、アルタクセルクセス王は全面的な後援を約束し、金銭面での支援を惜しみませんでした。主の宮に栄光を与えることを王の心に起こさせ、王をはじめ多くの人の好意を得させてくださったことに、エズラは主をほめたたえました。



祈り:主よ、回復とリバイバルを熱望します。御言葉が、私のうちに、教会のうちに、日本各地に、泉のように豊かに流れるようにしてください。

一言:御言葉の勉強、実行、教えること


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