聖書別日ごとの糧   >>   ネヘミヤ記[2019]

2019年 11月 13日 (水)

ネヘミヤ記9:6-21(17)
赦しの神様、いつくしみ深い神様

 悔い改めて新しくなるためには、自分の罪にしがみつくだけでは出来ません。まず、召されて導いてくださった神様の恵みに思いを馳せることが必要です。神様はアブラムを選ばれて多くの国民の父とされました。そして、約束通りにカナンの地を彼の子孫にお与えになりました。イスラエルがエジプトで苦しみに会っていた時、しるしと不思議を行なってパロの手から解放してくださいました。紅海を分けて海の中のかわいた地を通らせ、追って来たエジプトの軍勢は深みに沈ませられました。雲の柱と火の柱によって導き、荒涼たる荒野でマナとうずらを食べさせ、飲み水を飲ませてくださいました。何よりも、シナイ山に下られ主の民として、幸せに生きるための律法を与えてくださいました。
 しかし、イスラエルの先祖たちは傲慢になり、うなじをこわくし、主の命令に聞き従いませんでした。彼らは不平不満を漏らし、ひとりのかしらを立ててエジプトでの奴隷生活に戻ろうとさえしました。滅ぼされて当然の彼らでしたが、恵み豊かな神様は彼らをお捨てになりませんでした。彼らが鋳物の子牛を造って、「これがあなたをエジプトから導き上ったあなたの神だ」と言って侮辱した時でさえ、彼らを見捨てられませんでした。荒野での四十年間、神様が彼らを養われたので何も不足することはありませんでした。神様は彼らをあきらめないで、悟らせようと教え続けられました。ごく平凡な一人に訪ねて来られ、大いなる神の国の民にしてくださった主を思う時、感謝と賛美が湧いて来ます。大きな恵みを受けたにもかかわらず、反抗して罪を重ねた先祖たちを親のように養ってくださった神様は赦しの神様で、情け深く、憐れみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かな神様です。寄る辺のない者、羊飼いのいない羊のような者を召され、今に至るまで忍耐と愛とあわれみと恵みによって養ってくださった神様を覚えることが恵みを受けた者の本分です。


適用:今日まで来られたのは誰のおかげですか

一言:主の恵みなり



2019年 11月 14日 (木)

ネヘミヤ記9:22-38(30,31)
繰り返す罪と神様の愛

 イスラエルの歴史は一言で言えば、背信の歴史です。神様はエジプトから救い出したイスラエルをカナンに導き入れられ、その地を所有させ、思い通りに扱えるようにされました。彼らにぶどう畑、掘り井戸、あらゆる良い物に満ちた家を手に入れるようにしてくださいました。彼らは満腹し、肥え太って大いなる恵みを楽しみましたが、神様に反抗し、律法を後ろに投げ捨て、主に立ち返るように戒めてきた預言者たちを殺しました。それで神様は彼らを敵の手に渡されたので、彼らは主に叫び求めました。恵みの時には神様を捨て、また苦しみに会わないからと主を求めない彼らは、神様の愛と恵みにあずかる資格のない人々でした。それでも神様は大いなる憐れみによって彼らを敵の手から救ってくださいました。
 イスラエルの背きは一度や二度ではありませんでした。一息つくとまた悪事を行ないました。そんな彼らですが、神様は天から聞き入れ、主の憐れみによって度々彼らを救い出されました。そんな彼らを生かすために命のことばをお与えになりましたが、彼らは拒み、うなじをこわくし、聞き入れようとしませんでした。それで国々の民の手に渡されはしましたが、彼らを滅ぼしつくさず、捨てられませんでした。ネヘミヤとレビ人たちは、自分たちに降りかかってきたすべての困難は、ご自分に立ち返らせようとする神様の大いなる愛と憐れみであると告白します。彼らは情け深く憐れみ深い神様の御前で罪を認め、これからは御言葉に聞き従うと堅い盟約を結び、書きしるし、印を押しました。


適用:背きの罪と回復を繰り返すイスラエルの歴史から何を学びますか

一言:神様の愛から引き離すことはできません


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