聖書別日ごとの糧   >>   エステル記[2019]

2019年 11月 24日 (日)

エステル記4:1-17(14)
この時のためであるかもしれない

 モルデカイはハマンの計略、ユダヤ人滅亡の危機を知りました。彼は着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出ていきました。王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て、灰の上に座りました。しかし、王宮にいたエルテルはこのことを知りませんでした。エルテルは宦官ハタクを送り、このことを知りました。モルデカイはこのことを彼女に知らせるだけでなく、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるよう頼みました。しかし、エステルは三十日間、王のところに呼ばれておらず、行ける状況でありませんでした。呼ばれてもないのに王のところに行くことは死をも覚悟しなければならなかったからです。モルデカイはエステルに返事を送り、彼女がすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならないと言いました。エステルが沈黙を守っても、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起こるが、エステルも、彼女の父の家も滅びると言いました。エステルがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれないとも言いました。エステルは彼の話を聞き、死ななければならないのなら死ぬ覚悟で王に行く決心をしました。そして、シュシャンにいるユダヤ人に断食をお願いしました。
 神様が私たちを今この場所に置かれている理由がわからないこともあるでしょう。しかし、この場所でいのちを活かすわざに神様は用いようとされているのです。危機の時、民を活かすために私たちをおいてくださいました。ですから、私のいる場所で主が願われること、いのちを活かすわざに励みましょう。死ななければならない覚悟をもっていのちを活かすわざに励むとき、私たちに置かれた主のみこころにかなう生き方となるのです。


適用:神様はどんな御心で私をこの場所においてくださったのでしょうか

一言:いのちを活かすわざのためです


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