聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 04月 10日 (月)

ヨブ記 4:1-21(7)
個人的な経験を論拠にしたエリファズ

エリファズは、ヨブの善行を認めてはいますが(3,4)、それは、ヨブには隠れた罪があることを指摘するためでした。「さあ、思い出せ。だれが、潔白なのに滅びた者があるか。どこに、真っ直ぐなのに絶たれた者があるか。…不法を耕して、害悪を蒔く者が、自らそれらを刈り取るのだ」(7,8)。ヨブの受けている苦しみは、ヨブ自身の罪から来ていると言っているのです。しかし、全ての試練や苦しみが罪から来るとは限りません。信仰を告白したために、迫害を受け、苦しむ場合もあります。

エリファズは、「私の見てきたところでは…」(8)、「あることばが私に忍び寄り…」(12)と、自分の経験を元に議論しました。そして、ヨブが今の苦しみから抜け出す唯一の道は、神様に進み出て、悔い改めることだと言いました。人がいくら正しいからと言っても、神様の御前に正しいことは、ありえないからです。それは事実です。しかし、1、2章では、神さまは、ヨブの誠実さと直ぐな心を深く信頼し、地上で最も信仰のあるしもべとして、ヨブをご覧になっています。ですから、エリファズの助言は、見当はずれでした。自分の経験を通して学んだことは、必ずしも全ての人に当てはまる訳ではありません。人は、みな異なる状況にあるからです。エリファズは、自分の経験から知恵を絞りだそうとしましたが、聖書は、知恵は主が与えるものだと言っています(箴言2:6)。私たちの神さまは、義なる方であると同時に、愛と恵みに満ち溢れた方であられます。御言葉をよく知り、神さまに対する理解の幅が広くなる時、人の苦難を見る観点、また助け方も違ってきます。



祈り:主よ、自分の小さな経験に基づいて単純に考え、人の苦しみを判断してきたことを悔い改めます。義でありながら、恵みにあふれた神様を悟るように、助けてください。

一言:経験ではなく、恵みのみことばで


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