聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 04月 17日 (月)

ヨブ記 11:1-20(14)
因果応報を論拠にしたツォファル

 ヨブが友だちからの咎めに強く反発すると、それを見たナアマ人ツォファルは、ヨブは不真実な者、手に不法がある者だと、再び彼を責めました。彼の言葉には、「ことば数が多い」、「無駄話」、「黙らせる」、「恥を見させる」などが出て来ており(1-3)、大変とげのある言葉で話しました。彼にも、ヨブの苦しみのうめき声が理解できませんでした。彼自身は安泰な境遇にいたせいか、ヨブに対して因果応報の伝統的な考えを出して来て、冷たく非難しました。他の友人たち同様に、ツォファルの場合も、神様を律法的(legalistic)に、狭く理解していました。

 私たちも、他人の苦難を見ては、その人自身に何か問題があるのだろう、と考えがちです。正しいことをすれば主に認められ、悪いことをすれば主に罰せられる。だから試練がその人に起こったのなら自業自得だと律法的に考えます。しかし、イエス様を救い主として受け入れた人は、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いを通して、価なしに義と認められるのです(ローマ3:24)。私たちは、律法の下にではなく、恵みの下にあります(ローマ6:14)。私たちは、ヨブが恐れながら全焼のささげ物を献げる生活をしていたみたいに、自分の罪の問題のことばかりを考えて生きる必要がなくなりました。キリストの完成してくださった救いの御業に目を向けながら、感謝と恵みの中で生きることができるようになりました。



祈り:主よ、私が律法的に、冷たい心で人々の抱える苦しみを判断して来たことを悔い改めます。主のように、慈愛とあわれみに満ちるように助けてください。

一言:キリストの恵み


<<(1)    前のページ(10)    11    次のページ(12)    (41)>>

聖書別日ごとの糧