2023年 06月 01日 (木)
私の一歩一歩を数えておられる主
ヨブは、人の齢は短く、影のように逃げ去るものでしかないと考えました。そして、なぜそのようなはかない存在に向かって厳しく要求されるのかと神さまに訴えます。ヨブは、神さまが厳しい方で、自分に対して怒りをぶつけておられると考えました(13)。しかし実際は、神さまは怒っているどころか、むしろヨブを、地上で最も神を恐れて悪から遠ざかっている者だと評価していました(2:3)。
あまりの苦難に、死んでよみに下れば、もっと楽になるのではないかと思うほどでしたが、死後も生きるのだろうか、という疑問を持つようになりました。そして、「私の代わりがやって来る」、つまり自分の代わりに苦しみを背負って下さる方が来る、という望みを持つようになりました(14)。ヨブの時代には、イエス・キリストのことも、永遠のいのちのこともまだ啓示されていませんでしたが、ヨブは深く神さまを黙想するうちに、霊的な真理を掴むようになりました。そして、神さまは「私の一歩一歩を数えておられ」るだけでなく、「私の咎」をおおうことが出来る方ではないかと考えるようになりました(17)。残念ながら、そのすぐ後に、ヨブは再び悲観的な考えに戻ってしまいます。自分の悲惨な現実に考えを戻してしまいました。それで、神さまは、人に打ち勝ち、人は去っていくしかない、と考えました。
人間は、特に若い時、まるでこの地で永遠に生きるかのように考え、富と名誉と地位を得ようと努力します。しかし、実は死ぬしかない虚しい存在です。だからこそ神様の救いが絶対的に必要です。死ぬしかない人間、悲しみの多い人間に望みとなるのは、ただ神様おひとりだけです。
祈り:主よ、私も霊的な真理を深く掴む者になりたいです。みことばを聞くとき、単なる知識として聞くのでなく、深く悟りながら聞くように、聖霊様助けて下さい。
一言:真理を悟る深い黙想
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