聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 06月 02日 (金)

ヨブ記15:1-35(17)
見えるものだけで判断したエリファズ

以前エリファズは、「私なら、神に尋ね、神に向かって自分のことを訴えるだろう。」(5:8)とヨブにアドバイスしました。しかし、いざヨブが神さまに向かって訴えると、今度は「あなたは敬虔を不要と見なし、神の御前で祈るのをおろそかにしている。」(6)と叱責しました。ヨブの率直な神への訴えは、益にならないことば、役に立たない論法で、信仰に基づいていないと見なしました。

知恵のある者 (2)、 古老 (10) の 一人であるエリファズは、罪のない潔白な人は決して滅びないという彼の主張を固持しました(4:7)。自分の信じる神学的原則こそが、ヨブが聞き従うべき知恵であると思っていました。エリファズは、神の目には、人間は正しくない存在であり(14-16)、それゆえ、人は神に対して手向かい、全能者に対して尊大にふるまうのだと考えました(21-26)。ヨブもそんな罪人の一人であり、ヨブの悲劇的な財産の喪失(27-29)、子供たちの死(30、32-33)は、彼の罪の結果だと訴えました。しかし、これが真実ではないことを私たちは知っています。神さまがヨブを正しくない者だと言ったことは一度もありませんでした(1:8; 2:3)。私たちは、つい、目に見える結果だけで判断し、神学的原則を適用して人を非難してしまいがちです。しかし私たちは、人の内面にあるものや、その人の人生の全体を知ることはできません。人のうちにあるもの、人の全てを知っている方は、主イエス様だけです(ヨハネ2:25)。



祈り:主よ、エリファズのように見える結果だけで人を非難する自分がいます。自分の小さな目と考えを捨てて、イエス様の愛と恵みで相手を抱くように、助けてください。

一言:イエス様の愛の目で見よう


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