聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 06月 03日 (土)

ヨブ記16:1-22(19,21)
私の保証人が、高いところに

ヨブの友だちは、ヨブを苦しめ、みじめにする慰め手でした。彼らはヨブのために行なうふりをしましたが、実際には罪に定めてばかりいたので、大きな傷だけを与えました。ヨブは肉体の苦痛以上に、友だちの言葉にひどく傷つきました。もし彼らの立場が逆であったなら、ヨブも彼らのように話すことができたでしょう。非難の言葉、決めつける言葉、さばく言葉で彼らを咎めることができたでしょう。しかし反対に、彼らを励まし、慰め、平安を語ることもできます。言葉はとても重要です。 私たちは互いに慰めや平安、希望を与える言葉を交わす必要があります。

ヨブは、神さまの主権を重んじるあまり、自分の身に起こっている全ての苦難の源は、主であると信じるようになりました。神さまは自分の首筋をつかんで、粉々になるまで押しつぶしてきたと思いました。そんな中で、本当にヨブの側にいてくれる擁護者、保証人は、存在しないのでしょうか。彼の友人たちは、罪が苦難の原因だとほのめかし、神さまは、何も答えて下さいません。しかしヨブは、自分の正直な祈りを聞いて下さる方が、天におられるという信仰を持ちました。3人の友人達とは異なる友が、一人、天にいて下さり、とりなしてくださっていると信じました。地上の友人は、どんなに親しくしていても、自分を理解できない時があります。しかしイエス様だけは、私の悔しさを知っておられ、弁護してくださいます。それで私たちは、友だちに嘲られても、主なるイエス様に向かって涙を流し、とりなしをしてくださるように、祈ることが出来ます。



祈り:主よ、親しい人達が私に何と言ってこようと、私が目を神様に向けるように助けてください。イエス様のとりなしを信じて、強く生きるように助けてください。

一言:私にはとりなして下さる方がいる


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