聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 06月 04日 (日)

ヨブ記17:1-16(15)
どこに私の望みがあるのか

ヨブは苦しみと悲しみのあまり、墓場や、よみについて考えるようになりました。彼の友人たちは彼を励ますことができず、むしろ彼と彼の苦しみを見て驚き恐れ、何もできませんでした。人は、他の人の苦しみを見てただ驚き恐れ、神を敬わない人に対しては憤って正しい道を説教したくなります。ヨブは、人がみな、そのようであることをよく知っていました。相手の言葉に耳を傾け、理解しようとカウンセリングするよりも、責任を追及したり、罪悪感を持たせたり、罰を与えたりする方が簡単だからです。ヨブはそのことをよく理解していましたが、それでも、誰かが自分に望みを与えてくれることを願いました。 誰かが自分の心の望みを目にし、大丈夫だ、と保証してくれることを願いました。

近年、日本では特に若者の間で自殺が増加している傾向があります。2021年には、20代の自殺者数が前年比90人増の2611人、小中高に至っては473人となり、20年に次ぐ過去2番目の多さになりました(参照:警察庁「自殺統計」)。ヨブのように、多くの人が、自分の将来を見た時に、死しか見えないのです。彼らの唯一の望みは墓場です。ヨブのように、彼らも叫んでいます。「いったい、どこに私の望みがあるのか。だれが私の望みを目にするのか」(15)。私たちが絶望して暗闇の中でさ迷っていたとき、誰かが私たちに望みについて話し、生ける望みについて教えてくれました。その望みとは、イエス・キリストです。イエス・キリストに望みを掛けて歩み始めた時、私たちは、たとえ見通しは悪くても前進できるようになり、困難に直面しても、花開くようになりました。 私たちは、望みを持てずにいる人々に、望みはあるのだと教えることができる人になりました。



祈り:父なる神さま、私に生ける望みを与えて下さり感謝します。誰かが不幸に直面しているとき、その人が再挑戦するのを助け、私たちに本物の望みを与えるイエス様を紹介できるように助けてください。

一言:イエス様は、望みのない人の望みです


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