聖書別日ごとの糧   >>   ヨブ記[2023]

2023年 06月 12日 (月)

ヨブ記25:1-26:14(26:14)
だれが理解できるだろうか

 シュアハ人ビルダデは、神様の御座にまで行くことを願うヨブの話を聞きました(23:3,4)。それに対して、神様がどれだけ大いなる方であるかを、証ししました(25:1-5)。そして、「人はどうして神の前に正しくあり得るだろうか。」(3)とも言います。彼の言葉は理屈的には間違っていませんが、神様の愛を知らない律法的な言葉でした。人はみな罪人ですが、神様がそのひとり子を賜るほどに愛される存在です(ヨハ3:16)。それで私たちは、人の存在そのものを尊く思う心を持たなければなりません。

 試練を受けているヨブに必要なものは、暖かい慰めと逆境を耐え忍ぶことのできる力と、神様の御旨を知る知恵でした。ところがビルダデは、このような助けを与えることができず、ヨブを苦しめてばかりいました。人をよく助ける牧者になるためには、人間愛がなければならず、神様についてもよく知っていなければなりません。ビルダデは自分のほうがヨブよりも神様をよく知っていると思い込み、ヨブに忠告しました。しかし、人が神様を完全に理解することはあまりにも難しいことです。神様は北を茫漠としたところに張り広げ、地を、何もない上に掛けられ(26:7)、海をかき立てるラハブ(海の怪物)と逃げる蛇(空中の悪の勢力)を指し殺される全能なる方です。人がこの神様を誰よりもよく知っているなどと、軽々しく思ってはいけません。



祈り:主よ、私が大いなる主をよく知っていると、軽々しく話すことはできないことを学びます。ただ、謙遜に学ぶように助けてください。

一言:誰が理解できるか


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